arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1371日目とホモ・サピエンスの旅⑫

2025/6/10火曜日

5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

外は雨。

7時過ぎに次男を駅まで送迎。

帰宅後、洗濯とクッキー、ピザ生地作り。

 

やる事やったら、読書と調べ物。

昨日に引き続き、篠田謙一著「人類の起源」

 

〈二重構造モデルの視点〉

稲作が入らなかった北海道と北部九州から約二千年遅れて10世紀頃になって稲作が始まった琉球諸島では縄文人の遺伝的な影響が強く残る事になり、それが両者の見た目の類似性を生んだと考えられる。

この二重構造モデルは列島内部に見られる形質の時間的・空間的な違いを「基層集団である縄文人と渡来した集団の関係」という単一の視点で説明している所に特徴がある。

 

ゲノム解析による地域別比較〉

都道府県別に行った核ゲノムのSNP解析では、近畿・中国などの本土日本の「へそ」の部分と九州や東北との間に違いがある事が解っている。

畿内を中心とした地域では渡来系集団の遺伝的な影響が強く、周辺域では縄文人の遺伝的影響がより強く残っている。

 

旧石器時代

日本列島に最初に現生人類が侵入したのは考古学や人類学の証拠から約4万年前の後期旧石器時代だった事が明らかになっている。

旧石器時代の遺跡は日本列島で一万カ所程知られている。

が、人骨は琉球諸島を除いては見つかっていない。

沖縄本島石垣島から見つかっている旧石器人骨についてはミトコンドリアDNAの分析が行われ、特に、二万年前の人骨として有名な沖縄本島の港川一号人骨については次世代シークエンサを用いた解析が行われている。

そのミトコンドリアDNAはハプログループMの根幹に位置する。

ハプログループMの誕生は六万年前。

普通に考えれば二万年前の港川人の持つDNAには更に変異が蓄積している筈。ヨーロッパで発見されている四万年以上前の人骨の持つDNAですら根幹部分から見ると幾つかの変異が蓄積。

実は琉球列島集団の現代人を対象にした大規模なゲノム解析によると沖縄の現代人の祖先は一万五千年前より昔に遡らないという結論が導かれている。

↑一万五千年前に天変地異があった?集団が入れ替わるような。

港川人のミトコンドリア系統が現代人に繋がらないとするとこの解釈と整合性がある。

ただ、注意すべきは、ミトコンドリアDNAで追究出来るのは母系の祖先のみ。

ネアンデルタール人ミトコンドリアDNAの解析ては絶滅した人類と捉えられていた事を考えると、旧石器時代に遡る琉球列島の人類史の正確な解釈は古人骨の核ゲノムデータの解析結果を待つ必要がある。

琉球列島以外で確実に旧石器時代のものとされているのは静岡県浜松市の浜北遺跡から出土した一万八千年前の人骨のみ。

様々な証拠から日本列島の人類集団は旧石器時代の後半から縄文時代にかけて形質的に連続していると予想されるので縄文人のゲノムを知る事で日本の旧石器時代人の遺伝的特徴についてある程度の類推が可能になる。

 

縄文人ミトコンドリア系統〉

縄文人の持つミトコンドリアDNAの代表的なハプログループはM7aとN9b。

これらは現代てはほぼ日本列島内に限って存在。

それぞれの成立年代が三万〜二万年前に遡る事から恐らく縄文時代よりも前の旧石器時代に日本列島に流入

大陸に残った系統は消滅したと考えられる。

N9bの系統は東日本から北海道に掛けて多数を占める。

M7aの系統は西日本から琉球列島で多数になる。

東西の地域差が認められる。

旧石器時代にも石器の形状に東西の差が認められるので、この違いはそれぞれの石器を作った人々の集団の違いを反映しているか。

次世代シークエンサが実用化し縄文人ミトコンドリアDNAの全塩基配列データが利用出来るようになると詳しい地理的な分布も明らかに。

同じM7aの系統でも西日本に分布するものの方が成立年代が古い。東に行くほど新しい。この傾向により、この系統は中国大陸の南部沿岸地域から西日本に侵入し東へ向かったと推測される。

縄文人ミトコンドリアDNAはM7aと

N9bに分けられる、と。

そして、ハプログループMの誕生は六万年前、と判明。

そんな事までわかるのな。

今日はここまで。

 

12時に夫にソーキそばを調理。

喜んで食べていた。

午後も読書と調べ物。

16時から夕食作り

 

ししゃも、鮭、焼き芋、ゼンマイと細竹の炒めに、サラダ。

ウォッカ梅酒ロックを飲みながら美味しく戴いた。

後片付けを済ませたら読書と調べ物の続きをする事に。

 

歩数計は5215。

充実した一日だった。

 

 

 

 

 </pらろる〜