arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1369日目と畑とホモ・サピエンスの旅⑩

2025/6/8日曜日

4時に覚醒。

最新情報をチェックした後に読書と調べ物。

 

昨日に引き続き篠田謙一著「人類の起源」

 

インダス文明
移住の「第三の波」が到達する以前の4600-3900年前の間にインドの北西地域に興ったのがインダス文明

南部の狩猟採集民とイラン系初期農耕民が混合した集団がインドを代表する古代文明を生み出した。

ハラッパーから発見された人骨のゲノム分析で確認されている。

そのゲノムにイラン系の初期農耕民の系統が占める割合は45-82%。南部狩猟採集民の系統が11-50%。
ホモ・サピエンスは五万年程前に東南アジアに到達。

デニソワ人系統の人類との混血が認められ旧人類との複雑な交雑が予想されている。
ベトナム北部のマンバックという初期農耕民のものと考えられる遺跡によると、三千年から四千年前に狩猟採集社会から農耕社会に移行。
中国南部から東南アジアに掛けての古人骨ゲノムについては一万年前よりも古い時代にはベトナム北部と広西チワン族自治区福建省に遺伝的に異なる狩猟採集民集団が居た。
が、9000年-6000年前に混合。

最終的には北方から南下してきた農耕民が中国南部に到達。

広西チワン族自治区の狩猟採集民は現代にゲノムを伝える事無く、消滅。

東南アジアのスラウェン島にいた7000年前の狩猟採集民のゲノムも現在には伝わっていない。

ヨーロッパと同様に農耕以前の時代に存在した地域の狩猟採集民集団の多くは歴史の闇の中に消えてしまった。

ホモ・サピエンスに駆逐されたな。


4 東アジア集団の成立
完新世以降の東アジア集団の形成〉
東アジア集団を考えるに当たって西はウラル山脈、南西はヒマラヤ山脈インドシナ半島の基部を境界として、東は太平洋の沿岸からベーリング海を回って北極海で囲めれた北東アジアを含んだ部分を東アジアと規定して考える事にする。
一般に中国人は漢民族として纏められる。

が、南と北では言葉も違う。

集団の遺伝的な違いも認められる。

この違いは過去を遡る程大きい事も古代ゲノム解析の結果判明。

↑まーた、駆逐されとるな。

狩猟採集民の何が気に入らないねん!?

 


解析されたのは黄河流域の古人骨と南の福建省から出土した9500-300年前の人骨24体。

一万年前から六千年前までは両者が遺伝的に区別しうる集団であったものが時とともに混合していった様子が判明。
一万年前の農耕の拡散によって徐々に拡大する事で現在の状況が生まれた。
現代の中国人の祖先の大部分は北のグループに繋がる。
様々な割合で南のゲノムを取り込んでいる。
時代を遡ると黄河流域集団は現在の北方集団により類似。
南の集団も東南アジア寄りの地域の現代人のゲノムに近くなる。
5000年〜4000年前には北方集団の拡大が始まった。

南部の古代集団は遺伝的には南太平洋に拡散したオーストロネシア語族の人々の祖先である事も確認。


〈日本への渡来の起源〉
2021年に東アジアの現代人46集団383名のゲノムと8000年前以降の166個体の古代ゲノムが併せて解析されている。
中国内モンゴル自治区東南部から遼寧省北部へ流れる西遼河流域の古人骨は田園洞人骨の持つゲノムから派生するものであるとわかった。
西遼河の流域はキビを中心とした雑穀農耕が興った地。

そこで確認される古代ゲノムに日本や韓国の現代人との共通性を見出だせる事から西遼河流域が日本語や韓国語の祖語の起源地と考えられる。
不思議なことに西遼河流域古人骨の持つゲノムは、朝鮮半島や日本列島以外の地域への広がりを見せない。
周辺のモンゴル語族やテュルク語族、ツングース語族集団が暮らす地域との関係が無い。

この地域の集団が何故朝鮮半島の方向だけに拡散したのかを明らかにする為にはより多くの古代ゲノムを解析する必要がある。

↑日本で待ち合わせたからやろ。

で、それを追い掛けてくるストーカー集団も居た、と。

今日はここまで。

 

洗濯とベランダガーデニングの水遣りを済ませたら7時半に畑へ。

 

上の葉が枯れていたじゃがいもを掘った。

そして、トマトの側にニラを移植。

後は、昨年の秋じゃがから芽が出てたので急遽、夏じゃがの植付け。

空いている畝があったのでやってみる事に。

10時に畑を後に。

じゃがいもを陰干ししたら買い物へ。

帰宅後、シャワー。

蒸し暑くて汗びっしょりだった。

午後も読書と調べ物。

15時半から夕食作り。

人参大根サラダ、蕎麦、豚の生姜焼き、ローストナッツ、ウォッカ梅酒ロック。

17時に長男一家が到来。

自分も昨夜以来の食事を食べようと思ったが上の孫がお腹が空いていないのか、遊び出した。

それで、試しに、夕方届いた梅酒用の梅のヘタ取りを誘ってみた。

以前、近くで拾った青梅のヘタを器用に手で取っていたので、密かにお手伝いを期待していた。

爪楊枝を渡し自分が見本を見せると、器用に取り始めた。

更に、青梅と少し黄色や赤っぽいのは異なるボウルに入れて、と言うとそれにも対応。

30個位で飽きちゃったけれど、ちゃんと貢献してくれた。

自分は18時にご飯が炊きあがるのを待ち、夕食。

600gの蕎麦はほぼ売り切れ(笑)

流石にお腹ペコペコ。

ばあばの素晴らしい食べっぷりに上の孫もつられて、一緒に炊きたてご飯を食べた。

長男一家は20時に帰って行った。

お皿は長女が洗ってくれた。

有り難く、読書と調べ物をすることに。

 

歩数計は11901。

充実した一日だった。