arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1366日目とホモ・サピエンスの旅⑦

2025/6/5木曜日

5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

合間に洗濯とベランダガーデニングの水遣り。

9時半に買い物へ。

10時半に帰宅後、仕分け。

11時から読書と調べ物。

12時に夫にラーメンを調理。

12時半から再び読書と調べ物。

 

昨日に引き続き篠田謙一著「人類の起源」

 

〈最古のイギリス人の肖像〉
イギリスで最も古い人骨の一つであるチェダーマン(約一万年前)のゲノム解析から明らかになった様々な特徴を元に作られた復元像。

この人骨はチェダーチーズで有名なイギリス南西部のサマセット州チェダー地方で1903年に発見された。
2018年に大英自然史博物館によってDNAが分析されSNPの特徴からその系統を知ると共に顔面が復元された。

現代のイギリス人と違い、肌の色は褐色で目の色はブルー。
これまで色素が薄くなるのは高緯度地方への進出によって紫外線が弱くなる事への適応だと考えられて来ました。
しかし、旧石器時代のヨーロッパ全域、そして、中石器時代の西ヨーロッパに住んでいた人々は皮膚色を暗褐色にする二つの遺伝子、SLC24A5とSLC45A2を持っていた事が明らかになっている。

チェダーマンも同様の遺伝子を持っていたので皮膚の色は暗褐色に再現。
これに対しアナトリアの農耕民はSLC24A5遺伝子に皮膚を明るくする変異を高頻度で持っていた。

もう一つのSLC45A2遺伝子の変異の頻度はそれ程高くは無い。

現在の多くのヨーロッパ人はどちらの遺伝子も皮膚色を明るくするものになっている。
この二つ以外の、皮膚色を明るくする別の二つの遺伝子(TRYとGRM5)も含めて5000年前以降には明るくなる方向への選択圧が高くなってヨーロッパ人の皮膚の色は白くなって行った。
4万年の歴史の中でヨーロッパ人集団の皮膚の色が白くなったのはそれ程古い時代ではない。
尚、通常はセットで考えられる白い肌と金髪、ブルーの目はそれぞれが異なる遺伝子によって発現。

チェダーマンのように褐色の肌にブルーの目というのも不思議ではない。

ヨーロッパ人のブルーの目を作る遺伝子はHERC2/OCA2と言う遺伝子に起きた変異が原因とされ、検出された一番古い人骨はイタリアとジョージアの1万4千〜1万3千年前の遺跡から発見されている。
この変異は8000年前までにヨーロッパ人の中に普遍的に見られるように。

自然選択と集団の交雑などが複雑に絡み合って現在の状況が生まれた。

これらの特徴をセットで持つ事は偶然によるもの。


第五章 アジア集団の成立
ー極東への「グレート・ジャーニー」
1 「アジア集団」とは何か


旧石器時代におけるユーラシアでの集団移動〉
前章でヨーロッパの現代人の成立にはポントス・カスピ海草原に興ったヤムナヤ文化を持つ集団が関与していたと説明。

それらはアジア集団の成立ちにも関係。

ヤムナヤ集団の形成を旧石器時代まで遡って検証。
旧石器時代にら初期拡散でユーラシア大陸中央部に広がった「古代北ユーラシア集団」が存在していた。

そこから西方に拡大したグループがユーラシア草原の狩猟採集民となった。

そのグループがコーカサスの狩猟採集民と混合して形成されたのがヤムナヤ集団。
ヨーロッパやシベリアなど一部の地域を除いて狩猟採集社会から農耕が始まる一万年前よりも古いユーラシア大陸の古代ゲノム解析が行なわれていない。

その為、人類のユーラシア大陸展開の状況が解明されていない。
アフリカを出た集団は中東での一万年に及ぶ停滞を経て五万年前より新しい時代にヨーロッパからシベリアまでの広い地域に拡散。
その中でユーラシア大陸東部への拡散には基本的に北ルートと南ルートがあったと考えられている。
南ルートはインドなどの南アジアを通過する経路。

そこで現代のアンダマン諸島人に繋がる古代南インド狩猟採集集団が形成された。

更にこの集団の中から東南アジアへと進出したグループが現れ東南アジア狩猟民となった。

彼らはデニソワ洞窟で発見された系統とは異なるデニソワ人と交雑した可能性がある。
そこから南に拡散したグループがパプアニューギニアオーストラリア大陸に展開。東南アジアを起点に南北に分かれたグループの双方共デニソワ人のゲノムを持っている。

混血は東南アジアで起こった。

尚、オーストラリアやパプアニューギニアに展開した集団の古代ゲノムは現状では存在しない。

この地域での旧石器時代に遡る集団の移動に関しては解明が進んでいない。
北上したグループは古代東アジア集団を形成。代表するゲノムは中国の田園洞の男性人骨から得られている。

分析された人骨のミトコンドリアDNAのハプログループはB。

アジアに広く分布するハプログループの祖先型である。
今のところシベリアを除けば4万年前から最終氷期の最寒期が終わる2万年前の期間の東アジアの古代ゲノムはこの田園洞のものしかない。

この時期の東アジア集団の拡散の状況を知ることは難しいがヒントは日本の縄文人のゲノムから得られる。

↑イギリスのチェダーマンに興味津々。

褐色の肌にブルーの眼の色なのな。

今日はここまで。

 

17時から夕食作り。

鮭、焼き芋、麻婆豆腐風青椒肉絲、鶏むね甘酢あん、サラダ、長芋明太子、納豆、残り物の煮物と味噌汁。

ウォッカ梅酒ロックと一緒に頂いた。

19時に昨夜以来の食事を食べる事に。

 

歩数計は6638。

充実した一日だった。