arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1351日目と河井継之助記念館と秋田・庄内戊辰戦争⑱

2025/5/21水曜日

5時に起床し読書と調べ物。

昨日に引き続き、郡義武著「秋田・庄内戊辰戦争

 

〈戦勢暗転す〉
9/13 晴時々冷雨 午後西北の強風
甚三郎以下将兵も全快し一番隊は早朝刈和野を出発し神宮寺へ。
北楯岡に達した頃、先鋒より伝令が駆け戻り「神宮寺に敵影なく、既に味方松山・仙台・上山勢が占領す」と報告。
大砲隊や輜重(しちょう)隊は刈和野に戻し、本隊のみ神宮寺入り。
聞けば、昨日異変に気付き川端で撃ちかけてみたが、応砲なし。

松山の斥候本間健治が単身板切れに掴まり渡河。

蛻の殻だった。
小舟七艘を繫いで舟橋を作り、戻ってきた。
昨夕、諸藩が渡って宿陣。

敵の遺棄した物品を分捕り、既に諸藩に分配。
分捕り品は膨大。
倉庫二棟に玄米30俵、籾10俵、蒸米700俵、鶏数十羽に加え、大量の武器弾薬。
甚三郎は仙台・上山兵と竹内大作隊を神宮寺に残し、本隊は今来た道を引き返し、夕方には刈和野へ戻った。
刈和野へ戻ると盛岡藩の使者が。


「進んで檜山に迫るといえども、苦戦に及び、大館を捨て十二社(所)に退く。願わくば、庄内軍痛く敵を撃って其の勢焔を分かつべし」


それに対し

「当月八日、弊藩の諸隊既に大河を押渡り、所々にて合戦、刈和野神宮寺の敵、残らず打ち散じ、大曲の通路も開け、各藩も夫々河を越し、今明日の内にも仙藩にて諸口より角館へ取掛り、弊藩にては専ら久保田城へ取掛り、先鋒の者既に進撃に及び候。取敢ず出張先より御報告に及び候、貴藩御出張向きにても、其手筈にて御攻込に相成り候様、致し度く存じ候 

以上 九月十三日 秋田出張庄内軍事方 盛岡御藩御軍事方御中」

と、秋田北東部で孤軍奮闘中の盛岡藩に対し力強いエールを送った。
楢山佐渡率いる盛岡兵は9/6, 大館を奪還されたが十二所(花輪東11キロ)付近で西軍(佐賀・小城・秋田兵)と激しい攻防を繰り返した。
この地で19日まで持ちこたえたが20日朝、佐渡本陣に悲報が。

それは、藩主南部利剛直々の降伏停戦の奉書だった。

佐渡は止むを得ず、西軍参謀前山精一郎へ休戦(降伏でなく)の申し入れを行った。
ここに奥羽列藩同盟を守り、最後まで南部武士の意地を貫いた、盛岡藩の戦いは終わった。


9/13, 峰吉川に在った吉之丞は四番隊の戦況が気になり、永原久蔵・長山伝兵衛(元金属隊)を派遣。
先ず、下淀川へ行き、亀ヶ崎隊隊長俣野市郎右衛門(組頭・600石)に会った。

亀ヶ崎隊はこれまで酒田防衛の為に温存してあった部隊。

9/6, 酒田を出発し戦場へ駆け付けた。

通称酒田隊とも呼ばれていた。
亀ヶ崎隊は13小隊あるが酒田商兵が多く訓練不足の上、いきなり椿台方面の激戦に遭遇。

損害も多く出し意気消沈していた。
久蔵と伝兵衛はその足で向野(下淀川西南4キロ)の四番隊本営に行き、大隊長松宮源太夫に会い、戦況を尋ねた。
「十日、十一日と平尾鳥山(椿台)に戦い、殊に十一日には酒田隊ともに戦いしが、味方死傷夥しきに、敵兵なお加わり、味方より多き事幾倍か有らん。且つ兵も弱からず、されば、別に思う所あれば、二里ばかり有らんか爰に引きぬる所也」


と答えたが、日頃、闘志溢れた源太夫たが、流石に沈痛な色は隠せなかった。

 

椿台の大会戦・四番隊敗退す〉
庄内軍迫るの急報に接した西軍は、秋田藩支藩、秋田新田藩(二万石)の陣屋がある椿台とその付近の丘陵に兵力集中。

強固な陣地を築き、最後の防衛ラインとした。

現在、秋田空港の西北2キロ、椿台ゴルフ場のある辺りである。
ここを突破されれば久保田城下まで僅か四里(16キロ)、ここからは平野が開け、一気に城下へ突入されてしまう。


9/10, 四番隊は椿台攻撃を開始。

まず、その前面にある糠塚山(標高103m)を占領。
安養寺から椿台・椿川方面へ攻め込んだ。
西軍の守備は頑強で一進一退攻め切れず、余り損害の出ないうちに元の場所に下がって宿陣。
翌11日、西軍は猛攻撃。

悪魔崇拝

 

薩摩隊を中心に福岡・佐土原・新庄・秋田・矢島・本荘兵などの連合軍で、海道口の守備をしていた兵も応援に転用。
太夫が言ったように敵が何倍も居たのはオーバーでも二倍は居ただろう。
更に西軍は秋田・新庄兵でも新式銃を手渡された。
↑殺傷する気満々。

やっぱ悪魔崇拝や。


忽ち、天王山とも言うべき糠塚山も午後には奪取され、追いまくられ損害続出。
夕方には苦労して渡河した雄物川を再渡河し神ヶ村(向野西南3キロ)まで後退。
椿台を攻略出来なかったのは仕方無いとしても人的被害が多すぎる。
『四番大隊戦況報告』では戦死15名、重軽傷81名(内8名引き揚げ後死亡)。

『庄内戦争録』付録の「死傷者名簿」を数えてみたが、戦死25名、負傷80名にのぼった。
一日の戦闘では過去最大の損害。

庄内隊としても戊辰戦争における最初で最後の大敗戦となった。
哀悼。
糠塚山で最後まで死守しようとした石原数右衛門(新整隊隊長・100石)隊などは、特に壊滅的な損害を受けている。
『数右衛門覚書』に依れば、「夜明たるに敵一夜の内に、胸壁を所々に築き、敵勢尚増し、昨日よりは間近く進みて発射すれば、味方積置ける柴の楯を打ち通し、追々手負者ある故、これに拠るまじと度々制するも用いず、(中略)味方引き来りしに亀城隊近く進めり、森兵衛(三好森兵衛。三番隊よりの応援)と謀り再び奮戦して、此山を取返さんと思える処に、昨日迄は兵士従者とも四十二人有りけるも、死傷追々十九人、其余護送させし者、或いは薄手を得しを除いて、隊兵僅かに十余人、依って織衛(新整隊・上野織衛)と合併すべしとの命を得て、元の半隊長となる」この日最も敢闘した数右衛門隊は前日42名居たのが僅か10数名に激減。

隊を保持出来ず他隊に吸収されている。
この戦いの敗因は新任の松宮大隊長の拙劣さにあった。

糠塚山から救援要請が来ているのに増援が遅過ぎで最重要拠点を奪回されている。

更に右手羽州街道より迂回して敵の背後を突かせる筈の亀ヶ崎隊を呼び戻し間に合わない糠塚山の救援に廻し、その後一緒に引き揚げている。
まだあるが、これ全てを松宮大隊長の責任に帰すのは気の毒。

彼を任命した鶴岡の首脳部にも責任がある。

今日はここまで。

 

7時にチェックアウト。

お散歩がてら、近くの宮下アーチ3兄弟の撮影へ。

3つの橋が撮影出来るスポットなんだそう。

次は金山ふれあい広場へ。

ここは只見線の列車と只見川と大志集落が撮影出来るスポット。

夫も大喜びしていた。

次に、只見駅近くの只見インフォメーションセンターへ。

ここで、レンタサイクル。

予約した電動自転車をレンタル。

料金は一日千円。

当初の予定では松坂峠を周遊する50kmコースをサイクリングする予定だったが、トンネルが多いので中止。

まずは、夫が大ファンの河井継之助記念館へ。

9:50に到着。

開館まで時間があるので近くの医王寺にある河井継之助のお墓へお参り。

手を合わせた。

そして、河井継之助記念館へ。

戊辰戦争では、藩の軍備を整えつつ、中立を唱えた。

が、新政府軍は、会津藩につくか西軍につくかの二択しか与えず、23歳の岩村精一郎との交渉は決裂。

河井継之助会津藩につくことを選択。

一度奪われた長岡城を再び奪い返すも、西軍による更なる攻撃により河井継之助は負傷。

本人は会津落ちを拒むも周囲の説得により、駕籠に乗せられ、八十里越

八十里越」とは本当は八里しか無いが八十里にも感じる程に険しい山道の事を言っている。

道中、河井継之助は一句詠んでいる。

そして、傷が元で破傷風を発症。

ここ、塩沢の地で終焉を迎えた。

↑わいは、傷にかこつけて毒を盛られたと推測。

〇〇にかこつけて、〇〇する、と言うのは奴らDSの常套手段な。

河井継之助が優秀過ぎで、この先の日本侵略に邪魔だったんよ。

 

ここ、只見に避難して来たのは河井継之助のみならず、長岡藩城下の2万5千人もの人々。

この大人数の避難者の食糧を確保するのは困難を極めた。

確保出来ず、責任を取って只見代官の丹羽族が自刃する事態に。

↑西軍が偽の錦の御旗振りかざしてとうほぐに攻めて来て、マジ大迷惑だったんよ。

 

河井継之助記念館に1時間滞在。

実に見応えのある記念館だった。

次は只見駅まで戻り、ブナと川の博物館へ。

只見では、こんなデカいサクラマスが遡上。

マス漁が盛んで漁師も一杯居た。

が、ダムにより、マスが遡上出来なくなり、漁業が衰退。

ダムって、百害あって一利無しや。

田子倉集落もダムの底に消えた。

ここは、漁師も猟師も大勢居た。

伝統文化が数多く存在した。

この近くに銀山があったから、邪魔だったか。

鉱山と言えば外人。

奴らは、金儲けの為には、邪魔者は消せ、だからの。

いやー、只見で収穫一杯ありましたわー。

12時半にレンタサイクルを返却後は車で「ただみ・モノとくらしのミュージアム」へ。

いきなり、猟師さんの紹介が。

更に山の神信仰についても。

ここはもっと時間を費やして見たかったか夫が飽きていたので、切り上げ。

家路に着く事に。

18時に帰宅。

帰宅後、夕飯の支度をしながら旅行の後片付け。

終わったら、19時過ぎにシャワー。

19時45分に長女が帰宅。

久しぶりに一緒に食事。

途中から次男も参加。

只見で買ってきたウドで作ったお味噌汁が最高に美味しかった。

夫は帰りの車中でケンカ(毎度の事)し、いじけて部屋籠り。

DSは家庭不和を画策する。

うちの場合は主に夫を使って。

一番一緒に居る時間が長いからね。

揉めても、毎回夫が居たたまれない結果に。

何せ、計画している人達(悪魔)の精神的レベルが子供じみているから、しゃーない。

嫌がらせする事自体、レベルが低い。

夫も損な役回りよ。

食後の後片付けを済ませたら読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は10687。

充実した一日だった。