arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1341日目と畑と秋田・庄内戊辰戦争⑧

2025/5/11日曜日

2時に下からの機械音で覚醒。

下の住人には機械音が煩くて目が覚めたから止めてくれ、とSNSで苦情を入れといた。

4時45分に畑へ。

辺り一面霧。

長女が買ってくれた金魚草を定植。

映えていた。

最近、霧が多い。

霧のあと、作物の葉の色がくすんで見える。

今日は帰り道、稲の苗の色がくすんで見えた、

何か撒いてる?

わいの調べによるとセシウムかな、と。

今、ポットに種を蒔いて色々と苗作りしている。

が、カボチャだけ一向に芽が出ない。

あとは、コリアンダー

一ヶ月以上前にポットと畑にも蒔いた。

が、ゼロ発芽。

これらは優秀な解毒食品。

そういうの見ても、奴らが何を撒いているのかが何となくわかる。

それらを食べられると、健康になるからの。

6時に帰宅後、洗濯とベランダガーデニングの水遣り。

合間に、お出かけする長女と夫のおにぎり作り。

そして、ヨーグルトメーカーにサワークリームの材料をセット。

今日は母の日なので、夕食は嫁が作ってくれる、と言う。

自分はデザートの寒天サワークリームケーキを作って行く事に。

やる事やったら、読書と調べ物。

 

昨日に引き続き、郡義武著「秋田・庄内戊辰戦争

 

一、二番隊共に川を越えて西兵を追い散らしたが、その夜は元の出発地に戻り野営。吉之丞は本営を雄物川の左岸大久保(角間の西4キロ)において大沢の敵に備えた。
一方、この朝、稲庭を出発し増田に向かった右翼の仙台兵(亘理大吉・伊達弾正隊ら)は昼前漸く大門(増田南2キロ)に到着。

上山兵一小隊も続いた。
が、早くも敵の秋田・新庄兵がこの地に進出。

陣地を築く間もなく遭遇戦に。

両軍共に兵器が旧式のせいもあって太刀を振るっての白兵戦があちこちで繰り広げられた。
新庄番頭小山八蔵、銃隊司令菅芳之助・栄之助親子などが仙兵の真っ只中に斬り込んできた。

この闘志に圧倒され忽ち仙兵は浮き足立ちあわや得意の「ドンゴリ」状態。

だが、丁度そこへ湯沢を発した瀬上主膳の本隊が到着。
こうなれば、なにしろ仙台兵は数が多い。西兵の数倍の大兵力であり数で圧倒。

敗走する西兵を追い皆瀬川を渡り、増田に入り、敵が自焼した集落の火を消しこの夜は同所に宿陣。
この戦いの西軍側の様子は新鋭の長崎『振遠隊戦報』によると、

「賊徒前に河を以て畳々台場を設け、大砲を其上に居置、銃卒を土手の陰に散兵せしめ、其勢い甚し、発砲雨の如し、味方必死を極め、遂に河中へ進み候得共、地形不便、頗る苦戦に及び、手負い討死等之有り。然る処本道官軍、賊徒多勢支え難く引取り候由注進之有り、肥前藩中合せ、遂にこの持場樋口村(場所不明)迄引取り申し候」
と苦戦の様子を素直に述べている。
西軍の損害は薩長手負い各1名、小倉兵手負い4名、佐賀戦死1名、長崎戦死2名手負い5名、新庄戦死2名手負い2名、秋田戦死8名手負い17名。
東軍の損害は庄内隊が戦死5名手負い6名、仙台手負い3名、山形戦死1名。


〈横手城攻略〉
8月9日 晴天 浅舞に進撃
二番隊は右膳の指揮のもとに朝9時角間村を出発。

浅舞(横手西南8キロ)に向かった。

先鋒は郷右衛門隊で、浅瀬を渡り、志摩・植田村を経て夕方に浅舞に到着。
一方、一番隊の進む本道方面では砲声が激しく火の手が上がるのが望見された。
右膳は小花鈔兵衛を探索に行かせたが「一番隊難儀と見ゆる」との報告に、一番隊から応援に来ていた黒谷市郎、松山隊を元隊に戻した。
川を渡った志摩村では『庄内戦争録』によると、農民が跪き如何なる御用も勤めるので放火は御免じ願いますと嘆願する者が多かったとある。
庄内藩においては止むを得ざる時以外は火を付けないと安心させた。
一方、大久保に宿陣した吉之丞は先発隊の大沢に敵影無しの報告で引き返し植田を経て夕方浅舞に到着。
本道の砲声がまだ止まないので更に惣右衛門隊を応援に出した。

同隊は一番隊が攻め込んだ十文字村(横手南10キロ)の本営に行き甚三郎に会った。
今も戦闘中は先鋒のみで本隊はここ十文字を確保したので吉之丞に報告されたし、との事。

惣右衛門隊はまた2里の夜道を歩いて浅舞に帰った。
本営では吉之丞がまだ寝ないで待っていた。

本隊は浅舞に宿陣したが横手への間道には番兵を配し大砲は大沢方面を睨み、権蔵隊は豊前(浅舞北西2キロ)に進出させ警戒は十分。
右翼の仙台兵は動きが鈍く、増田を出発したのは昼。

そこから敵の前衛馬鞍(増田北5キロ)に向かったが西軍の抵抗激しく諦めて元の増田まで後退。
その後、本道も左翼も全ての西軍は篝火を残したまま密かに横手に後退。

総督府の命令という。


8/10 曇り時々小雨 横手攻め準備
秋田の牙城横手城攻略を明日に控え、準備の為一日同地に滞留。

そして進撃の手配を決定。

一番隊は本道羽州街道より、二番隊は搦手の浅舞より。

仙台兵は東山の間道から城の背後に進む。
横手城は横手盆地の東に位置し秋田の重臣戸村十太夫が一万石を領し城代を務めている。

城の手前を流れる横手川が外堀の役目をし小高い山の上に城郭が巧妙に縄張りされ平山城ながら堅固な要塞。


8/9、横手の沢副総督陣営で軍議があり、総軍、横手を捨て神宮寺(横手北北西20キロ)まで後退。

玉川・雄物川を防衛ラインにし守備を固める事に。

この命が伝えられた時、秋田の将兵は激怒。

特に横手城代の戸村大学とその将兵

大学の父十太夫は硬骨の士たが奥羽列藩同盟に加判した理由で(実は藩主の許可を貰って出席したのだが)佐幕派とみなされ久保田城下で謹慎させられている。
総引き上げの理由は色々考えられるが『戊辰役戦史』では次の3つを挙げている。


一、海道口の戦況の不利、矢島・本荘の陥落
二、盛岡藩の離反、八月八日鹿角口宣戦布告
三、増援が来るまでの戦略的な兵力の温存
などだが、沢副総督による采配にも原因があったようだ。


前日、横手城で城代として守城の任務に就いていると、沢副総督より「何故城兵を率いて戦わないのか」と詰問された。

よって、この日は部下将兵と共に本道方面に出撃中。

その最中に引き揚げ命令が。

更に沢副総督より「時勢強暴已に切迫に及べり、故に如く勢焔を避け総軍を引き上げんとす。然る時は横(手)城空虚なり、はやく兵を潜めて退き来れ」(『秋田戦記』)


出撃せよとの命で城を出た。

が、総軍引き揚げるが横手城が空になるので、すぐ兵を纏めて入城せよという勝手な命令である。
この沢副総督の不可解な行動については戸村の家臣大瀬貴誠が次のように書き残している。

「沢卿が斯く戸村(大学)を欺きたるは初めより戸村を疑い、故に特に来て難詰せるものの如し。戸村の父十太夫は白石盟約に加盟し来りし者、其子たる者も又父と同主義なるが故に、眼前の戦争にも応援せざるものと邪推して詰問に及び、強て応援せしめんと仕向けたるに、戸村は案外容易に其応援を甘諾、迅速全軍を率いて出陣せるより、沢卿又更に別段の疑いを惹起せり。即ち戸村が応援と云う事を僥倖として城外に出城中に残し置きたる沢卿の小勢を外より包囲し鏖殺せんとするの陰謀あるものと暗鬼を生じ、周章狼狽して城を逃げ去りたるものの如し」(『秋田県史』巻四)


沢副総督は初めから戸村親子を信用していない。だから城を出て戦えの命に素直に従った大学が信じられない。

今度は逆にこの城に攻め込み自分達一行を皆殺しにする陰謀ではないかと考えその夜のうちに横手を逃亡したのだという。
更に戸村の家老坂本藤兵衛も「沢殿深く御含みより、公(大学)を捨殺しに成され度き御計策かと相見得候」


8/10、薩長始め西軍諸隊は次々と引き揚げ。

更に梅津小太郎・中安泰治・小鷹狩源太ら秋田の諸将も倉皇として引き揚げ。
これを見ていた戸村旗下の将兵の多くは籠城は無駄であると反対。しかし、大学の決意は固く部下全員を集めて次のように述べた。


「昔御先代様より重く預置要城の警護、爾来怠り無く守り来たり、今更縦令孤城に相成り候共、国家の報恩、忠戦憤死の秋と銘々篤と勘弁、其決意の之有り度しと再応仰論」と籠城した青山為助は書き記している(『秋田県史』)


この地に城代たること数代、横手城の守護を続けて来た。

たとえ孤城となるも一戦も交えず退くは何の顔(かんばせ)あって主君の恩に、また祖先の霊に謝せん。

籠城し力の限り戦い、城を枕に討ち死にせん、との悲壮な決意。
↑19歳な。

 

直ちに城内の老幼婦女を避難させ、籠城決戦の準備。

籠城の手兵は約280名。

その夜、城内に貯えた金を全将兵に分配し「去りたきものは去れ」との言に30余名が去った。
兵糧武器も揃わず、火器などは火縄銃38挺、口径の大きい和銃12挺、ミニエー銃2挺しかない。

あとは弓槍のみ。

秋田藩の装備の旧式なのには驚かされるが、これでは戦争にならぬ。
中安泰治は一隊を引き連れ横手へ救援に来たが勝手に本丸へ入った。

二の丸に居た大学はその無礼を咎め会うことさえしなかった。

程なく泰治は去った。
これに関して『秋田県史』に依れば「応援と称して多数の兵隊を率い来たり、その兵糧・弾薬を孤塁の横手城に請求するなど凡そ常識を外れた申し入れ。(中略)去って後、彼(泰治)等は彼等の立場を正当化する為の弁に帰って大学の頑迷・無策を宣伝して廻ったのである」

 

今日はここまで。

 

 

14時から寒天サワークリームケーキ作り。

サワークリームとヨーグルトを混ぜ合わせている間、寒天を熱湯で溶かす作業。

よーく溶けたら先程のサワークリームとヨーグルトに混ぜよく撹拌。

ここで桃缶のシロップを追加。

型に流し込み冷蔵庫で冷やす事に。

15時半にチェックすると固まっていた。

カットしたフルーツを飾り完成。

16時に、長男宅へ。

17時半からディナー。

嫁の手料理をたべ、持参したデザートを食べ至福の時を過ごした。

初めて長男宅でご飯を食べたので孫達は興奮して走り回っていた。

18時半に帰宅後、子供らのハンバーグ作り。

19時過ぎからブログ編集をしていたが、眠れ眠れ爆弾攻撃で寝落ち。

日付が変わった0:02に覚醒。

投稿する事に。

 

歩数計は7947。

充実した一日だった。