arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1333日目と法隆寺

2025/5/3土曜日

5時に起床し朝食と昼食の下ごしらえ。

ついでに味醂粕クッキー作り。

洗濯とベランダガーデニングの水遣りを済ませたら、朝読書。

 

昨日に引き続き佃收著「物部氏蘇我氏と上宮王家」

 

第6部 法隆寺
第1章 法隆寺の移築
1法隆寺の再建・非再建論争
(1)法隆寺の創建と再建
法隆寺は上宮法皇の病気平癒を願い建立された寺である。
上宮法皇の病気平癒を祈願し「釈像尺寸の王身」は造られた。

それが法隆寺金堂の釈迦三尊像。像は623年3月に完成。

よって、法隆寺は623年に創建されたと言える。
ところが、670年に火災に遭い全焼。
法隆寺が再建されるのは和銅年間(708-714年)


(2)法隆寺と飛鳥様式
法隆寺五重塔や金堂及び仏像は飛鳥様式であると言われる。
美術史では法隆寺が焼失した天智九年(670年)頃を境に「飛鳥様式」から「白凰様式」になるという。

法隆寺は飛鳥様式であり670年以前に建造されているという。

美術史・建築史から見ると法隆寺は「飛鳥様式」であるから再建されていない事になる。

所謂「非再建」である。


2法隆寺の年代
(1)五重塔の心柱の年代
2001年2月21日の朝日新聞は「法隆寺の国宝・五重塔の中心を通る心柱(しんばしら)として、五九四年に伐採されたヒノキが使われていることが判明した」と報じた。


(2)五重塔の木材の年輪年代
朝日新聞は2003年7月16日の夕刊では「五重塔に使われていた木材に653年頃伐採された木がある事が奈良文化財研究所(奈文研)の年輪年代法による調査でわかった。(中略)奈文研は五重塔のヒノキの部材14点を調べ、うち4階などの屋根の垂木2点と化粧裏板1点の3点に樹皮に近い外側の白い部分の最も外側の年輪を測定。結果、垂木は663年と631年、化粧裏板は624年だった。この結果から五重塔の建設は7世紀後半と見られる」と報じた。


(3)法隆寺の新しい謎
 法隆寺は670年に焼失し和銅年間(708年)に再建された。

これが定説であった。

ところが五重塔の心柱は594年に伐採されたもの。

五重塔の4層の屋根には624年、631年、663年に伐採された木材が使用されていた。

いずれも670年の焼失以前の木材。

法隆寺五重塔は焼失していないことが判明。

焼失していないならば「非再建」


3 法隆寺は移築された
(1)法隆寺の移築
法隆寺は670年に火災に遭うが再建された五重塔の心柱は594年に伐採されたもの。法隆寺和銅年間に再建されるが五重塔は新築したのではなく移築したのではないたろうか。


(2)米田良三説
法隆寺移築説は米田良三氏が『法隆寺は移築された』(新泉社)で書いている。

建築家の目から見た鋭い指摘がある。


(3)法隆寺の建築尺度
平井進氏は『古代文化を考える』40号(東アジアの古代文化を考える会の「同人誌」)に法隆寺の建築尺度について研究成果を発表。


法隆寺の建築尺度
五重塔の主屋 26.85cm
●金堂の主屋 27.0cm
●中門、回廊、塔・金堂の配置 24.7cm

 

五重塔と金堂の尺度はほぼ同じだが中門・回廊の尺度と大きく異なる。
同じ設計者により設計された場合、尺度は同じになるはず。

法隆寺は複数の設計者により設計されている。
五重塔と金堂は飛鳥様式。

五重塔は心柱が伐採された594年頃に造られたのであろう。
↑めちゃくちゃ古い! 

 

中門の金剛力士像は『法隆寺伽藍縁起并流資財帳』(以下『法隆寺資財帳』と略)によると和銅四年に造られている。
五重塔と金堂を配置している尺度は24.7cmであるという。
中門・回廊の建築尺度と同じ。

五重塔と金堂は再建時の和銅年間に配置されている。移築であろう。


1 法隆寺の建築尺度
(1)平井進氏の「法隆寺の建築尺度」
口① 22.6cmの 尺度

・22.6cm… …若草伽藍、金堂の阿弥陀像台座
■② 25. lcmの 尺度の系統
・ 24.7cm… …中間、回廊、塔・金堂の配置、金堂壁画
<尺度の関係 > (24.7:25. 1=√2 :1.44)
■③ 27.lcmの 尺度の系統
。27.Ocm… …金堂の主屋、天蓋
・ 27.lcm… …塔の基壇・裳階 (も こし)、 金堂の基壇・裳階、
塔の肘木 (初重)、 塔の心柱 (八角形断面)、 釈迦三尊像光背
・ 26.6cm… …金堂の釈迦三尊像・薬師像の台座
<尺度の関係> (26.6:27.1=√2 :1.44)
■④ 26.85cmの 尺度の系統
・ 26.85cm……塔 の主屋
法隆寺は実に多 くの建築尺度によって造 られている。

法隆寺は複雑な過去を持っている。


(2)釈迦三尊像の尺度
平井進氏によると法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘の尺度は27.1cmであるという。上宮王家の尺度は「27.1cm」ということになる。


(3)法隆寺斑鳩
法隆寺金堂の釈迦三尊像は上宮法皇の病気平癒を祈願して造られた。

上宮王家の本拠地は肥前の飛鳥。

法隆寺肥前の飛鳥で造られている。

それが現在は奈良県斑鳩にある。

法隆寺肥前の飛鳥から和銅年間に奈良県斑鳩に移築された。

 

(天智)九年(670年)四月、夜半の後、法隆寺に火災。一屋も餘る無し。

日本書紀

 

670年に法隆寺は全焼したとある。

が、これは「斑鳩寺」の誤りであろう。

法隆寺は焼けていない。


2 上宮王家と法隆寺の創建
(1)法隆寺の基壇と裳階(もこし)
平井進氏の研究によると五重塔及び金堂の基壇と裳階の尺度は27.1cm。
「27.1cm」は上宮王家の尺度。

基壇は上宮王家で造られている。

それを肥前の飛鳥から奈良の斑鳩まで運んできた。


(2)五重塔の創建
法隆寺は上宮法皇の病気平癒を祈願し623年に肥前の飛鳥へ建立。

金堂の中央には上宮法皇の「尺寸の王身」である、釈迦三尊像が安置されている。
釈迦三尊像の尺度は27.1cm。

上宮王家の尺度である。

金堂・五重塔の基壇の尺度も27.1cm。

法隆寺は「上宮王家の尺度」で建てられている。


法隆寺五重塔の変遷
●594年 創建、場所は不明
●623年 肥前の飛鳥へ移築(法隆寺の創建)
●710年 奈良県斑鳩へ移築(法隆寺の再建=移築)


(3)金堂の創建
平井氏の尺度の研究によると金堂の建築尺度は次の通り。
●27.0cmの尺度 金堂の主屋、天蓋
●27.1cmの尺度 金堂の基壇・裳階、釈迦三尊像光背

たった1mmの差。
ところが、平井氏の研究では系統が異なるという。


◯27.0cmの系統
●22.5cm 金堂の部材
雲肘木 22.1〜22.2cm
枠肘木 22.5cm
〈尺度の関係〉22.5:27.0=1:1.2
◯27.1cmの系統
●26.6cm 釈迦三尊像・薬師像の台座
●22.6cm 阿弥陀像の台座
〈尺度の関係〉22.6:26.6:27.1=1.2:√2:1.44


金堂と天蓋は創建時(594年)に造られている。
釈迦三尊像や台座は27.1cmの上宮王家の尺度で623年に造られている。
金堂も他所から移築されている。
金堂と五重塔はそれぞれ別のところで創建されている。

↑お寺の事は苦手だけれど、これを解明する事で、また、真の歴史がわかるのだと思うと大事やな。

今日はここまで。

 

 

8時におやつ持参で公園へ。

久しぶりに孫達と遊ぶ事に。

下の孫は10時に限界になり嫁と帰った。

上の孫と11時まで遊んだあとはうちで昼ごはん。

相当お腹が空いたのか、さつまいもや焼きそば、ソーセージ、ハンバーグを次々食べ、焼きそばはお替りも。

お腹が一杯になったら長女とベランダで遊び、暑くなってきたのでじいじとアイスクリームを買いにスーパーへ。

そこで力尽きたようで、ネンネで帰ってきた。

しかも、ウンチをしていたので寝た状態でオムツ替え。

13時半過ぎまで爆睡していた。

14時からは家族テニス。

次男がテニスをやってみたい、というので大人6人でテニス。

孫達は交代で面倒を見た。

ゲームを16時まで楽しんだら解散。

帰宅後、順番にシャワー。

今夕は次男の初給与でご飯を食べる事に。

 

歩数計は11779。

充実した一日だった。