2025/4/15火曜日
未明の2:50に階下からの騒音で覚醒。

階下の住人にsmsで苦情を言うと、音は止めたけれど、次はグラグラ揺らしてきた。
もう、完全に覚醒したので3時に起床。
長女の朝食とお弁当のおかず作り。
5時半に畑へ。
まずは玉ねぎの草取り。

じゃがいもは元気に育っていた。

越冬したトマト苗をキャベツ跡に移植。

まだ、4月だけれど頑張って欲しい。
買物を済ませ7時に帰宅後、シャワーと洗濯。
ついでにベランダガーデニング。
カボチャと冬瓜の種を蒔いた。
9時から読書と調べ物。
今日からはこの本。

日本書紀によると「磐井の乱」で物部麁鹿火は「筑紫より以西」(九州)の地を得ている。
「磐井の乱」は531年。
約束は無かった。
物部麁鹿火は九州の豪族と掛け合い「筑紫より以西」の土地を一つずつ獲得。
「安閑紀」は物部麁鹿火が「筑紫より以西」の地を獲得していく様子を書いている。
(安閑)元年、安閑天皇は億計天皇の女春日山田皇女を皇后となす。
別に許勢男人大臣の女紗手媛、紗手媛の弟香香有媛、物部木蓮子の女宅媛の三妃を立てる。
『日本書紀』(安閑)元年は534年。
「磐井の乱」(531年)の3年後。
許勢男人大臣の許勢は巨勢であり肥前の巨勢(佐賀市巨勢町)
『日本書紀』によると(安閑)元年(534年)十月、大伴大連金村の奏上により三妃に小墾田屯倉、桜井屯倉、難波屯倉を給わった、とある。
大伴金村は福岡市の住吉(博多)に住んでいる豪族。
「小墾田屯倉」は蘇我稲目が仏像を「小墾田の家に安置す」とある肥前の養父郡の小墾田である。
「桜井屯倉」は善信尼が百済から帰国して住んだ「桜井寺」の桜井か。
肥前の三根郡にある。
「一本に云う、茅渟山屯倉を加えて賜る」とある「茅渟山屯倉」は阿知使主に喚ばれて渡来した「茅沼山村主」の「茅沼山」か。
「茅沼山村主」は肥前に住んでいる。
茅沼山屯倉も肥前にある。
物部麁鹿火は三妃に屯倉を賜ったとあるが「磐井の乱」以前にはこれらの土地を所有していない。
物部麁鹿火は乱後に手に入れている。
許勢男人は物部麁鹿火に娘を差し出す際、屯倉を付けて献上したか。
〈許勢男人と雀部男人〉
許勢男人は佐賀市巨勢を本拠に。
両者は余りに離れている。
この疑問は「続日本紀」で解決する。
「継体紀」や「安閑紀」に「巨勢男人」とあるのは「雀部男人」の誤りであると。
それを巨勢氏である大納言の巨勢奈弖麻呂が証明。
継体・安閑朝で大臣を務めた巨勢男人について、本来は雀部の氏人であるところ誤って巨勢男人と記されたため、雀部ではなく巨勢が大臣に任ぜられたことになってしまっている。
そこで巨勢大臣を雀部大臣に改め、名誉ある名を永く伝え、後裔を子孫に示したい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E5%8B%A2%E5%A5%88%E5%BC%96%E9%BA%BB%E5%91%82
仁徳天皇は「大雀(おおさざき)命」である。
「大雀」は「雀部」の「首長(王)」か。仁徳天皇は肥前の三根郡葛木の葛城襲津彦の娘磐之媛を皇后にしている。
三養基郡北茂安町には仁徳天皇を祀る神社が多い。
この近くに三根郡葛木(高宮)がある。
今は三養基郡北茂安町東尾。
磐之媛の故郷。
次に宅媛に賜った「難波屯倉」これは福岡市東区を流れる多々良川の河口。
「難波屯倉」を献上した物部木蓮子は福岡県鞍手郡の豪族。
肥前に「桑原」がある。
葛城襲津彦が新羅から俘人(とりこ)を連れてきて住まわせたところ。
俘人は桑原・佐麋・高宮・忍海の四邑に住まわせた。
これら全て、肥前の三根郡葛木地方にある。
安閑天皇は上御野・下御野も獲得している。
「御野」は三根郡の「三根」か。
「雄略紀」に嶺縣主が登場する。
雄略10年(466)、身狭村主青等、呉の献じた二つの鵝(がちょう)をもって筑紫に到る。是の鵝は水間君の犬に噛まれて死ぬ。
別本に云う、是の鵝は筑紫の嶺縣主(みねのあがたぬし)泥麻呂の犬に
噛まれて死ぬという。
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12380418293.html
「彌奴」が「御野」になり「嶺(三根)」になったか。
〈十市部と伊勢〉
⑴『日本書紀』巻十八安閑天皇元年(甲寅五三四)閏十二月是月 是月、廬城部連枳莒喩唹女幡媛、偸取物部大連尾輿瓔珞、獻春日皇后。事至發覺、枳莒喩、以女幡媛、獻采女丁、〈是春日部釆女也。〉并獻安藝國過戸廬城部屯倉、以贖女罪。物部大連尾輿、恐事由己、不得自安。乃獻十市部、伊勢國來狭々・登伊〈來狭々。登伊、二邑名也。〉贄土師部、筑紫國膽狭山部也。
(是この月に、廬城部連枳莒喩いほきべのむらじきこゆが女幡媛むすめはたひめ、物部大連尾輿もののべのむらじをこしが瓔珞くびたまを偸ぬすみ取りて、春日皇后かすがのきさきに献たてまつる。事発覚ことあらはるるに至いたりて、枳莒喩きこゆ、女幡媛を以て、采女丁うぬめのよほろに献たてまつり、〈是春日部これかすかべの釆女うぬめなり。〉并あはせて安芸国あぎのくにの過戸あまるべの廬城部屯倉いほきべのみやけを献りて、女むすめの罪を贖あかふ。物部大連尾輿、事の己おのれに由よることを恐おそりて、自みづから安やすきことを得ず。乃ち十市部とをちべ、伊勢国いせのくに来狭狭くささ・登伊とい〈來狭狭。登伊は、二つの邑さとの名なり。〉の贄土師部にへのはじべ、筑紫国の胆狭山いさやまべを献たてまつる。)
https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16816700427627372227
この話の主眼は「首飾りを盗まれた」事ではなく、後半の物部尾輿が「十市部、伊勢国の来狭狭・登伊の贄土師部、筑紫国の膽狭山部」を献上した事。
これは物部尾輿ご物部麁鹿火に筑紫国の膽狭山部を献上。
十市部は九州にもある。
「和名抄」に「筑紫国鞍手郡十市(止布知)」がある。
↑伊勢が福岡県にあるのは既に調査済。

畿内の地名が九州にこんなにあったとは。
これからも、調べてみる事に。
17時から夕食作り。

チキンとチーズのガレット(失敗)、カレードリア、牛蒡と蓮根のきんぴら風、納豆、バターコーン、サラダ、ローストナッツ、チャーシュー、ウォッカ梅酒ロック。
今日はお腹が空いたのでご飯が出来次第の18時半から夕食スタートにしてもらった。
夫も昼はうどんのみだったのでお腹が空いていたよう。
2人共に良く呑み良く食べた。
チーズと鶏肉のガレットはちゃんと油を引いたのにくっついてひっくり返せなかった。
わいが油に不信感を持つ根拠よ。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物の続きをする事に。
歩数計は7125。
充実した一日だった。