2025/4/7火曜日
5時半に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、夫の昼食作り。
合間に洗濯とベランダガーデニングの水遣り。
9時過ぎに図書館へ。
読みたかった本達をゲット。
まずはこの本。

わいは、1ヶ月前から既にこの史実を確信していた。
で、数日前に「山背大兄王て実在したん?」てなった。
ま、これを読み始めたあと、タイトルにもあるように、もっと衝撃的な事実に遭遇。
その前に木村勲著「聖徳太子は長屋王である」を読んで気になった点を抜粋。
天平二年(730)正月、大宰帥の大伴旅人邸で梅の花を愛でる新年の宴が催され、参加32人が各一首を詠んだ。
「梅花の歌」が万葉集の巻五にあり旅人の序文がある。
赴任から2年目の66歳。
前年729年の2月に奈良の平城京で長屋王(676〜729)の変があった時。
万葉集は旅人の子の家持が主編集者。
「天平二年正月十三日に、帥の老の家に集まって宴会を催す。折しも初春令月、大気は快く、風和かである」
序文のこの冒頭部が極めて有名に。
↑「令和」な。
改めて原文を記す。
「天平二年正月十三日……初春令月、気淑風和」
注目された「初春令月 気淑風和」は紀元100年頃の後漢時代の人、張衡の「帰田賦」中に「仲春令月 時和気清」(春の半ば月は麗しく、時候は穏やかで大気は清々しい)があり、梁の昭明太子編の『文選』の巻十五に収録された。ほぼ同意の文句を東晋の王羲之が「蘭亭序」(351年)に取り入れている(本章扉絵)。
文選は古代知識人の愛読書。王羲之は書聖として崇拝された。
旅人の序は明らかに蘭亭序を踏まえていた。
前者が官を辞し野に帰る心境を詠んだのに対し、後者は会稽山の蘭亭に41人を招いた曲水の宴で出来た詩集の序文。
729年(天平二年)2月10日、漆部君足と中臣東人が密告。
その夜都の出入口3ヶ所の関が固められる。藤原宇合らは六衛府の兵士を率い王邸を包囲。11日舎人親王・新田部親王と藤原武智麻呂・小野牛養を王弟に派遣。
12日、王を自殺させる。妻の吉備内親王、子の膳夫王・桑田王・葛木王・鉤取王らも。強制の自死とは殺害である。
13日に長屋王と吉備内親王の遺骸を生駒山に葬。
長屋王邸が平城宮近くの四坪の広壮な地積(一坪は一辺が約120mの正方形)から木簡出土で確認されたのは1980年代末。
正妻の吉備内親王と住んでいた処と判明。吉備の実姉の氷高(元正天皇)邸が南隣に。
長屋王がもう一つ持っていた邸宅・作寶楼と区別する為にこちらを長屋本邸とする。尚、一家が消えた「変」後の本邸には光明子の皇后宮が置かれた(笑)
南接する一坪からは南北に50メートル余もS字状に曲流する園地の遺構が見つかっておりこちらも含め宮邸を営んでいた可能性がある。
正史である続日本紀は長屋王について
冷淡。


奈良文化財研究所によると、作寶楼跡は国道24号バイパス工事前発掘調査でウワナベ古墳の東南、東三坊大路の東で発見されたそう。
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2004/04/20040401.html
このブログとサイトによると平塚2号墳の古墳の濠を利用し作庭したんそう。

https://blog.goo.ne.jp/hikamino/e/fa392bfde55f9f2d025c2e9e12498034


「鬼前太后」は元明天皇
「上宮法皇」は長屋王
「干食王后」は吉備内親王
「多至波奈大郎女」は橘古那珂智
↑最後の女人は、わいは光明皇后だと思う。
なんで、わいがこんなに必死になって長屋王の変について調べているかというと、長屋王と吉備内親王の第一子の智奴女王のその後が気になったんよ。
皇后になるべくして入内したのになっていない。
智奴女王で調べても情報は殆ど出てこない。
そしたら、智奴王が出て来た。
そこのウィキを読んでたら文屋真人とか出て来て、あれ?この方、称徳天皇が亡くなる間際に吉備真備が皇嗣に勧めていた人?と思い出した。
もしかして、智奴女王は男として生きた?
それでもええ。
智奴王は結構長生きしてた。
でも、年齢的にどうなんだろう?と共に蔭位した海上女王(志貴皇子娘)について調べていてら、なんと、長屋親王寧楽宮にて天皇即位説出てきた……。https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/c8dc5127739e0dcc234323cdf0aeca2f
マジで頭が混乱。
万葉集は大伴家持とか政権中枢でない人が編者だったりするから、日本書紀や古事記で隠蔽されている事をポロッと白状するから。
これに関しては、またの機会に調べる。
今日はここまで。
17時半から昨夜以来の食事作り。
撮影したと思ったが画像が保存されていなかった。
納豆、玄米ご飯、味噌汁、サラダ、鮭、カレー、ローストナッツ、朝のお弁当のおかずの残り、ウォッカ梅酒ロック。
久しぶりに夫と夕食を食べた。
夫は朝から頭痛と左半身の痺れに悩まされテニスを欠席。
DSはわいがびくともしないもんだから、夫をターゲットに。
その体の不調は電磁波攻撃なんよ、と言いたいが、それを言うと夫は怒る。
いつもの対症療法で保冷剤で頭を冷やしていた。
一日一食生活も4日目。
今日も読書に専念したので活動量は少ない。
特に問題無かった。
むしろ、読書に専念して、色々と発見してくれ、と言う神様の思し召しかもしれないと思い始めた。
調べながら思った。
日本語、国語をしっかり勉強しないと。
英語も良いけど、まずは国語。
自分は短大まで国文科のバリバリな文系。
それでも万葉集の理解は難しい。
日本史は高校時代に模試で県で2位の成績を取ったりした。
これも、日本史の勉強頑張れよ!という神様の思し召しだったのかも。
これだけ捏造された史実を発見すると、なんだかな、とは思う。
でも、めげない。
自分の生まれ育った国が好きだからこそ国語も日本史も好きなんよ。
だから、真実を追求したい。
出来れば、自分のルーツも。
歩数計は3459。
充実した一日だった。