2025/4/6日曜日
7時半に起床し洗濯とベランダガーデニング。
10時に買い物へ。
帰宅後、DIY。
100均で買ってきた材料を元に綿花の種取り機を作る事に。
買うと三万円以上する。
調べると手作りしている人が結構居た。
その動画を参考に角材や丸棒、釘等を用意。
まずはノコギリでギコギコ。
錆びついているせいかなかなか切れない。
やっとの事でカットし金槌で釘をトントンしたら木材が割れた。
2回連続。
やっぱ、100均のは駄目か。
後日、ホームセンターで木材をゲットする事に。
ついでにノコギリは砥石で研いで錆を落とした。
12時半に夫が長男や孫達を連れて帰宅。
皆の昼食を用意。
自分は夕食だけ食べるので昼食はパス。
長女と次男も昼を食べに来たので後の事はお任せし自室へ。
読書と調べ物。
昨日に引き続き船山信次著「毒が変えた天平時代」

本の後半で竹取物語について述べられている。
著者は、竹取物語の著者について大ヒントをくれた。
時代背景は奈良時代と思われる、と。
そして、吉備真備なのでは、と。
また、かぐや姫のモデルは藤原宮子や光明子、阿倍内親王(孝謙天皇)辺りではないか、と。
そのヒントを元に色々調べた。
自分も著者は吉備真備説を支持。
そして、モデルは光明子/藤原長娥子と推察した。
光明子は言わずと知れた聖武天皇皇后。
聖武天皇との間に孝謙天皇と基皇子(1歳で夭折)を儲けた。
そして、藤原長娥子とは長屋王の嫁。
長屋王との間に三男一女を儲けた。
ウィキでは長屋王の妾、と記載されている。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%95%B7%E5%A8%A5%E5%AD%90
ウィキによると、「『続日本紀』によると、神亀元年(724年)2月、従四位下から従三位に叙せられた。同日に、同じ長屋王の正室である吉備内親王、智努女王が昇叙されており、長屋王の妻妾が揃って授位されている[1]。」
因みに、「智奴女王」は長屋親王と吉備内親王の間に生まれた第一子。
その証拠に蔭位でいきなり従四位下に除されている。
この時、天智天皇皇子の志貴皇子の娘の海上女王も従四位下に。
このあと、智奴女王と海上女王は揃って首皇太子の妃になっている。
尚、これらの女王の記事はこれを最後に『続日本紀』に出てこない。
ただ、智奴女王に関しては姉妹で相次いで伊勢神宮斎宮となった円方女王が姉の死を悼み詠んだ歌が万葉集に掲載されている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E6%96%B9%E5%A5%B3%E7%8E%8B
夕霧に千鳥の鳴きし佐保道(さほぢ)をば荒しやしてむ見るよしをなみ(20-4477)[5]
[5]この歌には「智努女王の卒(みまか)りにし後、円方女王の悲傷(かなし)びて作る歌一首」という詞書があり、智努女王(円方女王の母とも姉とも言われる)と親密な関係にあったと考えられている。
さて、話を藤原長娥子に戻す。
729年の長屋王の変の際は藤原不比等の娘と孫達ということで長娥子母子は自死を免れている。
というか、729年て、光明子と同一人物なら既に首皇太子(聖武天皇)妃になってるはず。
ウィキによると716年に入内。
701年11月11日生まれだから15歳で皇太子妃に。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E
↑ちょ、待て。
同一人物なら15歳で皇太子妃になる前に長屋王との間に3男1女の4人産んでるて凄すぎるやろ!
一体何歳から出産してる?
年齢詐称してないか?
ま、その子沢山な実績を買われ、長屋王から首皇太子妃に鞍替えなってんやろ。
因みに長娥子も光明子も本名は知られていない。
長娥子に関しては長屋王の「長」と「娥」は、美しいとか月の女神という意味がある。

哀れなのは智奴女王。
本来なら長屋親王と吉備内親王の第一王女というサラブレッドで皇后を約束されている身分なのに、恐らく、長屋王の変の辺りには後宮を去っている。
九州から引越して来て、お父さんもお母さんも兄弟も死んじゃって。
長屋王は九州王朝の王族だからね。
歌でも九州の故郷を詠っている。
吾背子我古家乃里之明日香庭乳鳥鳴成嶋待不得而
(わが背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり島待ちかねて)
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=268
ここで詠っている「島」は九州の事。
奈良に島は無い。
まだ、九州王朝について調べ始めて2週間。
頭の整理は成されていない。
が、長屋王の変は九州王朝潰しだったという事は理解した。
文武天皇も九州王朝系統だったけれど、不比等の策略で美しい海女を不比等の養女にしてから奥さんに。
↑誰でも天皇の奥さんになれるんかい!
因みに、重祚した称徳天皇が崩御した時、天皇の側に居たのは吉備真備の娘の吉備由利。
吉備真備父娘は最後まで主に尽くしたのな。
今日はここまで。
15時半から夕食の用意。
昨日長男が差し入れてくれた焼肉用の肉が大量に余っているので再び焼肉パーティー。
更に、焼きそばも。
18時から食べ始め、肉も焼きそばも平らげた。
長男一家は21時過ぎに帰って行った。
ブログをアップしたら読書と調べ物をする事に。
歩数計は8295。
充実した一日だった。