2025/4/3木曜日
5時に起床し長女の朝食とお弁当のおかず作り。
雨なので7時に次男を駅まで送迎。
ついでにスーパーで買い物。
帰宅後、洗濯とベランダガーデニング。
まずは葉が枯れて来た人参を収穫。

そして、リーフレタスと一番ニラも。

水遣りを終えたら種蒔き。


ここのところの寒さで種蒔きを躊躇。
やっと蒔けた。
作業は12時近くまで掛かった。
引き続き、昨夜以来の食事の用意。
夫にはペペロンチーノを調理。
絶賛された。
午後は読書と調べ物。
今日からはこの本。

「天平」という元号は聖武天皇の后である光明皇后が立后した西暦729年に始まる、
↑729年は長屋王の変があった年な。
「天平」という元号の起源は中国の『禮記』
「家齋而后國治 國治而后天下平」(家族が和合してこそ国家が安らかに治まる。国家が安らかに治まってこそ、天下が平和になるのである)に基づくとされる。
しかし、天平という時代は遣唐使を介して当時の先進国である唐から様々な事物とともに薬物がもたらされ、毒を使用した暗殺と思われる事例も認められる。
また、竹取物語は奈良時代、その背景の中心は天平年間であると思うようになった。
↑大ヒントをありがとう!
第一章 天平の毒の正体ー遣唐使と正倉院薬物
757年に施行された養老律令に「鴆毒、冶葛、附子、烏頭」の四つの毒の名前が挙げられている。
また、恐ろしくて強い病に打ち勝つには強い毒が必要という思想も大陸から入ってきていた。
尚、養老律令は701年に制定された大宝律令の文言を変えた程度なので四つの毒について既に八世紀以前に知られていた。
753年に鑑真が来日した際は大量の生薬をもたらしたとされ光明子は施薬院を設立。
医薬に関する古い本として、一〜二世紀に纏められたとされる「神農本草経」という書物があるが原本は残っていない。
その後、500年頃に陶弘景がそれに詳細な注釈を施して「神農本草経集注」七巻を纏めた。
その後の唐時代の657年に成立した『新修本草』は「神農本草経集注」を参考にしている事から江戸時代の考証学者達は「新修本草」を元に『神農本草経』の復元に当たった。
これの特徴は365種の薬を上・中・下に分けているところである。
上薬は「長く服用しても体を害することの無い仙薬」で甘草や人参、杜仲、枸杞など120種。
中薬は120種挙げられ長く服用すべきでないもの。
例として黄耆(おうぎ)や黄芩(おうごん)、決明子、麻黄など。
下薬125種は「体に有毒な作用がある為薬として使用する時には必要な時のみ使用すべきもの」とある。
大黄や商陸、附子、半夏。
↑附子てさっきの毒物リストにあった。
また、当時は神仙思想といって、病に対抗するには強い毒が必要であるとする説があった。
↑パラケルススも似たような事言って、水銀とか処方してたな。
その考え方の中に五毒(硫砒鉄鉱、雄黄、石膽、丹砂、慈石[酸化鉄])というものもあり、好んで服用された。
唐の皇帝20人のうち少なくとも6人は水銀化合物の服用で命を縮めたと言われる。
754年正月16日、遣唐副使大伴宿儺古麻呂が鑑真等と共に帰国。
正月17日、遣唐副使吉備朝臣真備も漂流の末、紀伊国牟婁崎に到着。
この時多くの薬物をもたらした。
また、ボタンやキク、アサガオなども。
正倉院と正倉院薬物
奈良の東大寺正倉院には756年5月2日に崩御した聖武天皇の七七忌に際して光明皇后の願により聖武天皇遺愛の品々を東大寺の盧遮那仏に奉納するという形で納められている。
目録五巻が作成された。
『国家珍宝帳』
『奉盧遮那仏種々藥(『種々藥帳』)』
『屏風花氈等帳』
『大小王真跡帳』
『藤原公真跡屏風帳』
実質的に前二巻が多くをリストアップ。
後は追補的なもの。
編纂の仕事をしたのは光明皇后の後見機関だった紫微中台。
末尾には当時大納言で紫微中台の長官であり紫微令を兼ね権勢を奮っていた藤原仲麻呂始め五人の幹部の署名が。
正倉院収蔵の医薬品のうち60種のリストを示したのが前出の「奉盧遮那仏種々藥」
縦26cm長さ210cm、縦に3個、横に15列の合計45個の合計45個の御璽がある大変美しい巻物。
皇統のシンボルとも言える天皇御璽印は本来太政官により管理されるべきもの。
太政官のトップの左右大臣の署名も無い『種々藥帳』にこれ見よがしに天皇御璽が押印されているのは異例。
即ちこの時期光明皇后と藤原仲麻呂は政治の実権を握る為に天皇御璽印を手元に置きたかった。
この60種の薬物のうち38種が現存。
生産地はペルシャ、インド、南海或いは中国辺境地方の産。
正倉院には多くの武器も奉納されている。
百本の刀剣、百張りの弓、百領の甲(よろい)、3740本の矢。
矢柄(やがら)には篠竹や蘆(よし)の茎が使われ、矢羽には雉、山鳥、鶴、鴻、鷹、鷲、隼、雁など、鏃には鉄、竹、骨などが使われている。
こうした武器は量から考えても「聖武遺愛の品」などという範疇を超えている。
このように正倉院に藤原仲麻呂の企みにより工芸品や武器類、薬物が集められたが奇しくもこれらの品々は現代に残りかけがえのない宝物に。
↑天平の時代に何が起きていたのかがとても分かり易く書かれていた。
続きを読むのが楽しみに。
17時から夕食作り。
あと10分で完成、という時、夫からお金の使い方についてクレームが。
自分は服も化粧品も買わないし、何なら美容院も行かない。
わいが穴開いたボロボロの服着ているの、集団ストーカーしてるお前らみんな知ってんだろ!
使うのは食費だけ。
わいの価値観は食べ物。
あと酒かな(笑)
仕事を辞めたからお金の管理に厳しくなるのはわかるけど。
取り敢えず食欲は一気に失せた。
お腹が空いていない時に無理して食べる事は無い。

鮭ハラス、鯖、キャベツのラザニア、人参スープ、サラダ、紫キャベツのザワークラウト、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。
夕食をパスし入浴していると夕食を食べた長女から「キャベツのグラタン美味しかった~」と感想が。
クックパッドから拝借したレシピですわ。
ザワークラウトは初めて作ってみた。
味見した時は美味しかった。
明日の昼、改めて食べる事に。
お風呂から出ると夫はまだ自分の口座とにらめっこして預金引き出しのチェックをしながらブツブツ言っていた。
わいの予算月10万やで。
4人分のご飯作って、土日は長男一家にも食べさせて、どうやって不正するねん
もっと、追求すべき輩、世の中に一杯おるやろ!
歩数計は7578。
充実した一日だった。