2025/3/31月曜日
5時半に起床し昼食と夕食の下ごしらえ。

ヨーグルト梅ジャムケーキは上新粉で作ったらういろうみたいになった。
それはそれで好評だった。
10時に畑へ。
花が咲きそうなブロッコリーとスイスチャード、レタス等を収穫した。
買い物をしてから帰宅。
そのまま、食事の用意。
卒業旅行から帰ってきた次男はそのまま発熱。
明日入社式だというに。
レモン水とみかん寒天ゼリーを作り部屋に届けた。
更に、蓮根と長芋、牛蒡、生姜をすりおろし豆腐も混ぜてお饅頭を蒸し、餡かけに。
それらを作っている間に夫と長男、上の孫が帰宅。
焼きそばを調理した。
自分は納豆ご飯とスープでお腹を満たした。
食後は孫の相手。
15時半に御一行は出掛けた。
自分は1時間休憩後、16時半から夕食の用意。
まだ、全員が着席する前に何とか撮影。


しめ鯖と海老のカルパッチョ、蓮根と長芋と牛蒡と豆腐の饅頭焼き、ジャーマンポテト、ほうれん草とモヤシの鰹節和え、紫キャベツと大根と人参のべったら漬、昨日の醪汁。
これにウォッカ梅酒ロックをプラス。
夫の退職記念日なので少し豪華に。
皆で夫に今まで「お疲れさん!」と慰労した。
お皿は嫁が洗ってくれた。
夫は「もう仕事を辞めるから八女茶煎れるよー!飲む人ー?」とギャグを飛ばしていた。
皆で美味しく頂いた。
長男一家は21時に帰って行った。
漸く、読書と調べ物をする事に。
昨日に引き続き古田武彦著「古代は輝いていたⅢ」
第二章 古墳期の仏教と仏像鏡
〈丸隈山古墳の小仏像〉
福岡県高祖山西麓の゙丸隈山古墳から小仏像が出土。
通例、五世紀初頭戦後に当てられている古墳。
ところが、この出土した小仏像は出土品リストに無い。
↑ウィキを調べたら本当に無かった。
そこから福岡市のリンクに飛んでも記載が無かった。
五世紀前半の古墳から小仏像が見つかったらマズイのな。
この頃、日本にはまだ仏教伝来してましぇん!

画像下の説明文にびっくら。
(寛政8年再写)てその時代に日本に写真機あったん?と驚いてたら、再写されたのは隣の出土時の記録だった。
寛政16年=1639年に発見された小仏像は領主にも認められ、新蔵は居宅のご褒美も頂いた。
が、後世の考古学者達はこれを後代古墳の中に偽入したものとして、副葬品のリストからカットした模様。
〈仏像鏡〉
先述の小仏像は未確定なケースだが次に述べる仏像鏡はより確定しているもの。
著者の嘗ての住処に近い三つの古墳から三角縁神獣鏡中の一異形として三仏三獣鏡が出土。
京都市西京区橿原百々池古墳出土鏡
京都府向日市寺戸町芝山大塚古墳出土鏡
京都府船井郡園部町内村町園部垣内古墳出土鏡 (樋口隆康氏『古鏡』による)
また、
も「三神三獣式」の構図。
↑三神三獣式の仏像入り鏡に関してはこの方のサイトが分かりやすかったので掲載する。
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20241105-2/
〈画文帯仏像鏡〉
[第一種]
長野県飯田市上川路、御猿堂古墳出土鏡(径23.7cm、開善寺蔵)
河内金剛輪寺旧蔵鏡(径24cm,文化庁蔵)
[第二類]岡山県倉敷市日畑赤井、王墓山古墳出土鏡(径21cm,東京国立博物館蔵)
千葉県木更津市、祇園鶴巻塚古墳出土鏡(径21cm,五島美術館蔵)
名古屋市出土鏡(保坂三郎氏教示)
(樋口隆康氏『古鏡』より)
樋口氏によると「最も鋳上がりの良い金剛輪寺鏡で見ると、四組の仏像は二尊像二、三尊像二を交互においている。……第二種の方の仏像も大体これに近いが三尊像の一つの右脇像が半跏思惟の形を取っており二尊像の脇像の蓮華座が見えないなどの違いがえる」「この画文帯仏像鏡は日本の出土例しかないが、最後の一例(木更津市祇園、大塚山古墳から出ている別の画文帯四仏四獣鏡を指す。ー古田)を除き、他の諸鏡は中国製である事に間違いは無い。とすると最後の一面は日本で鋳造した仿製鏡とすべきであろうか」(238ページ)と言っておられる。
祇園大塚山古墳
https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
その近くの巨大な古墳、金鈴塚古墳の埋葬者は青年、という記事を見つけ、ハッとした!
出土品も金鈴や金銀の大太刀等、藤ノ木古墳に匹敵する豪華さなんだそう。
もしそうなら、筑紫君薩夜麻と関係するだろうから調べないと。
https://x.com/Kikiki93886931/status/1370694360942055425?t=OkfK3ExIpNhwkCZg0yo09Q&s=06
歩数計は8458。
充実した一日だった。