arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1297日目と筑紫君磐井⑦と孫守り

2025/3/28金曜日

5時半に起床し長女の朝食と昼食の下ごしらえ。

ついでにおやつのどら焼き作り。

午後からの孫とのお出かけに持っていくのでラップで包んだ。

雨が降っているので洗濯はお休み。

7時過ぎに長女を駅まで送迎。

ついでに買い物を済ませ8時半に帰宅。

久しぶりに早い時間から読書。

 

昨日に引き続き、古田武彦著「古代は輝いていたⅢ」

 

ここでA型「県『風土記』」の全てを示してみよう。
㈠塢舸水門(筑前国
以下はネットで検索したものをスクショして掲載。

 


この本の著者の古田武彦氏のサイトである。

https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak15/fudoki3.html


上記のA型風土記の内実を分析すると三種に分かれる。
第一式 ㈠㈡㈢㈣ 九州王朝で作られた「風土記」を原形とし、純粋な形を留めている。
例えば㈢。

ここでは「閼宗の岳」は「中天にして傑峙し」「地心に居住す」という。

乃ち、"天地の中心に阿蘇山あり"の立場。

第三式 ㈧㈨ この記事は断片ではあるが「筑紫風土記」が存在した事を示している。


②行政組織の問題
㈢の冒頭に、筑紫の風土記曰く、肥後の国……と「肥後の国」が「筑紫の風土記」の中に入っている。
B型風土記では、肥後の国の風土記に曰く……という表記。
A型風土記は筑紫のもとの諸国(九州諸国)の形式を取っている。
↑「筑紫」とは、筑前肥前、肥後等複数の国を含む、ということか。


③『風土記』の撰進について見逃せない記事が『日本書紀』に。


(履中四年)始めて諸国に国史を置く。言事を記して、四方の志を達す。(履中紀)


風土記撰進の記載。
が、筆者は「諸国に国史を置く」という記載を否定。
この記載は日本書紀にはあるが古事記には無い。
上の一文は中国の古典に拠った見事な造文。


A周礼、史官有り。邦国の四方の事を掌り、四方の志を達せしむ。諸候亦、各国史有り。(杜預『春秋左氏伝序』)

B諸国皆、史有り。以て事を記す。(『史記正義』周本紀)
C左史、言を記し、右史、事を記す。(『漢書』芸文志)


を見てもこの文の作者が並々ならぬ中国古典の教養の持ち主である事が察せられる。
先述の「阿蘇山」の文でも原文は、


清潭百尋 鋪二白緑一而為レ質 彩浪五色 [糸亙]二黄金一以分レ間 天下霊奇 出二[玄玄]華一矣。


といった格調高い漢文。
和文臭の濃厚なB型文とは文化の質が違う。
やはり、「日本書紀」の履中四年の諸国国史設置記事はA型の「風土記」と対応。「倭王武の上表文」を見てもわかる通り迫力ある名文だった。

その倭王が筑紫の王者だとすれば、このA型風土記が九州で成立したのも偶然ではないだろう。
↑つまり、履中四年記事は筑紫君が九州諸国に布告した記事なのではないか、てことか。


さて、A型風土記の成立はいつだろうか。これは分からない。何故なら「日本書紀」が他の史料を切り取って挿入する際、年代はでたらめ。
↑奴らの都合の良いように切り貼り。

エセ編集者が編集。


〈「県『風土記』」の成立はいつか〉
㋑この文が履中元年や履中五年ではなく履中四年(403)の項に挿入されたのは癸卯という干支の為、と想起。
㋺とするとその干支は

 

(A)463年 雄略、523年 継体
(B)583年 敏達、643年 皇極
(C)703年 文武


等にあたる。
㋩まず、(A)はA型「風土記」は磐井の滅亡(531年)の記事を含むので失格。

そして、大宝元年(701)以降は名実共に近畿天皇家の時代だからこれも失格。
㋥それでは(B)のうちのどちらか。52年後の583年の方か112年後の643年か。

筆者は前者を支持。何故なら磐井君の記事において継体軍の暴状が克明に記録されている。

更に磐井君の墳墓の原形状が明晰に記されている。

加えて、「上妻県、多く篤疾有りき」という古老の言葉を伝えている。
以上、筆者は583年をA型風土記の成立の時期として支持。

↑今日はここまで。

風土記の存在が大きいね。

 

12時に昨夜以来の食事。

13時に孫たちとお花見をしに岩槻城址公園へ。

桜はまだ二分咲き程度だった。

が、汗ばむ陽気に、最後は水遊び。

着替えた後は持参したどら焼きをパクパク。

帰りの車では夢の中へ。

孫達を送り届け、16時半に帰宅後、暫し休息。

17時半から夕食作り。

チーズパン、コンソメスープ、じゃがいもとソーセージとケールの炒め物、サラダ、高菜、玄米ごはん、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は8047。

充実した一日だった。