2025/3/27木曜日
5時半に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、昼食のカレーとスープ作り。
ついでに中華麹の材料をヨーグルトメーカーにセット。
そして、スープとサラダに使う人参の葉が欲しいので人参を間引き。

ちっこい人参が出来てた。
やる事やったら、自分の時間。
久しぶりに午前中に読書が出来た。
昨日に引き続き、古田武彦著「古代は輝いていたⅢ」
〈国県制の論争史〉
若き日の井上光貞氏は「国造制の成立」(『史学雑誌』60-11、昭和26年11月)において「県」記事を記紀その他の諸文献から渉猟された。
畿内 倭 菟田(又は菟田下、神武紀)葛城(推古紀)春日(綏靖紀)磯城(綏靖記・同紀・安寧紀・懿德紀・孝照紀・孝安紀・孝元紀)高市(神代記・天武紀)猛田(神武紀)層富(神武期)十市(孝安紀)山辺(延喜式祝詞)
山代 栗隈(仁徳紀)鴨(姓氏録、天平元年貢進解)
河内 河内(安閑紀)茅渟(崇神紀・雄略紀)三野(清寧紀・延喜式神名帳)志貴(安康記・延喜式神名帳)三島(安閑紀)猪名(仁徳紀)紺口(姓氏録)
東海道 伊勢 度逢(神功紀)佐那(神代記・開化記・儀式帳)川俣(儀式帳・続日本後紀)安濃(儀式帳)壱志(儀式帳)飯高(儀式帳)
尾張 年魚市(万葉集)
東山道 近淡海 犬上(姓氏録)
牟義都 鴨(延喜式神名帳、大宝二年戸籍)
山陽道 吉備 上道(応神紀)三野(応神紀)織部(応神紀)磐梨(姓氏録)川嶋(応神紀)苑(応神紀)波区芸(応神紀)仲県(三代実録)
周防 沙麼(神功紀)
西海道 筑紫 儺(仲哀紀)伊覩(仲哀・神功紀)崗(仲哀紀)水沼(景行紀)山門(神功紀)八女(景行紀)上妻(公望私所所引・筑後国風土記)松浦(景行紀・神功紀)嶺(雄略紀)
豊 長狭(景行紀)直入(景行紀)上膳(公望私所所引・筑後風土記)
火 高来(景行紀)八代(景行紀)熊(景行紀)佐嘉(肥前風土記)
日向 諸(景行紀)子湯(景行紀)
(不明)対馬(又は上・下に分つ、神代記・顕宗紀)壱岐(顕宗紀)加士伎(正倉院文書)曽(正倉院文書)
↑古代DSが孝霊天皇大嫌いなのはわかった。
井上説の批判者として上田正昭氏(「国県制の実態とその本質」「歴史学研究」230、昭和34年6月)の場合も本質的には同一。
その数値を掲載。
1位西海道 井上22 上田23
2位 畿内 18 18
3位 山陽道 9 10
4位 東海道 7 8
両者の分析は異なる。
井上氏は「邪馬台国、九州説」に立ち"タブラツヒメ(筑後山門)が神功皇后に滅ぼされた"、「大和朝廷の北九州征服」説を窺う。
上田氏は小林行雄氏の三角縁神獣鏡の理論を援用しつつ「邪馬台国、近畿説」を採用。
両者共通の認識は上記の「県」は全て近畿天皇家のもとの行政単位である。
著書は「九州に於いては倭国の行政単位があり近畿に於いては東鯷国の行政単位があった。近畿天皇家は前者の分流であり後者を征服した上での継承者であった」という立場。
↑また出てきたけれど、東鯷国気になるわー。
めっちゃ存在感あるやん!
そのうち調べる事に。
12時に、昨夜以来の食事。
自分は納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。
午後も読書と調べ物。
今日もCIA下請け工作員がテクノロジー兵器を駆使し足の甲に針で刺すような攻撃(ちなみに昨日はおっぱいに針で刺すような攻撃←58歳3ヶ月のおっぱいにやるてババア専の変態や)や目にレーザー銃攻撃。
それでも読書を止めないから眠れ眠れ攻撃。
夕方18時45分に。
こんな時間に寝る主婦おらんやろ。
19時に夕食。

玄米ごはん、人参スープ、ロールキャベツサワークリーム煮、とろろ明太子、帆立梅鰹ドレッシングサラダ、ウォッカ梅酒ロック。
ロールキャベツキャベツのサワークリーム煮がめっちゃ美味しかった。
食後はおやつ用に焼いた醤油せんべいをポリポリ。

中央部分はまだ柔らかかったので追加で調理。
醤油も自家製。
香ばしくてめっちゃ美味しい。
焦げてる部分が最高に美味しい。
で、焼いている間、昨日から漬け込んでいるザワークラウトをチェック。
すると、塩が足りないのか重しが足りないのか水が上がっていない。
重しを増量しようと、味噌樽に使っている重しを取ったらカビを発見。

慌ててシートを取り替え。

液体も上がっていた。
調べると、これはお宝な液体なんだそう。

で、丁寧に混ぜた。
すると右の樽のように落ち着いた。
両方混ぜ終わったら、同じようにシートを敷いて重しをして戻した。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物をする事に。
歩数計は5990。
充実した一日だった。