2025/3/13木曜日
5時に起床し長女の朝食とお弁当のおかず作り。
合間に米麹の品温をチェック。

42.2度。
念の為、発酵機のスイッチは30度設定でオンのままにする事に。
そして、張り切って2回洗濯。
ベランダガーデニングの水遣りも済ませたら9時過ぎに孫達と遊びに公園へ。
陽光の中、11時まで楽しく遊んだ。
買物をしてから帰宅。
そのまま、夫の昼食のラーメンを調理。
自分は納豆ご飯と豆乳スープメインでお腹を満たした。
午後は読書と調べ物。
昨日に引き続き木本好信著「大伴旅人・家持とその時代」
諸兄は次の手立てとして息子の奈良麻呂を参議に。
真備も副使に追加任命。
真備はこの時60歳を越えている!
↑敬老精神皆無な仲麻呂さん。
二名の副使、副使の追加任命という遣唐使に類例を見ない事やった。
↑やりたい放題の仲麻呂さん。
天平勝宝四年十一月、諸兄宅で聖武太上天皇を迎え肆(し)宴が行われた。
藤原北家の八束や大伴家持も同席。
時を同じくし仲麻呂宅に孝謙天皇と光明皇太后が行幸。
↑これ、DS親玉の期待通りの善vs悪みたいな展開やないか〜。
11月に再び聖武太上天皇が不予に。
このあとも度々諸兄により宴席が催された。
奈良麻呂らがクーデターで処断を受けた際、山田三井宿祢比売島もこれに関与したとして処分を受けた。
彼女は孝謙天皇の乳母。
諸兄薨去後、聖武太上天皇の遺詔に拠った皇太子道祖王も廃太子され、自分等が擁立を目指す黄文王、安宿王らが退けられ、仲麻呂の推す大炊王の立太子が決定すると、奈良麻呂は遂に行動を起こす事に。
〈福麻呂の越中派遣〉
天平二十年三月、左大臣橘諸兄の懐刀田辺福麻呂が越中の家持に派遣された。
折しも続日本紀三月戌寅条に聖武太上天皇により詔が発せられている。
越中国は三関国の一つ越前国に近く、反乱が平城京や大和国で収拾がつかなくなった場合、その果たす軍事的役割の大きさは仲麻呂の乱の結果を見るまでもない。
当時の越前守は家持と同族の大伴駿河麻呂。
駿河麻呂は奈良麻呂の謀反に同族の古麻呂、古慈斐らと共に加わり弾劾されている。
多分、奈良麻呂の反に古麻呂が不破関を制圧する手筈だったかも。
そして、時の越前掾は同族の大伴池主。「掾(じょう)」は下級役人。
「万葉集」「後に追ひて橘に和ふる歌二首」大伴家持
常世物この橘のいや照りに
吾ご大君は今も見る如
大君は常磐に在さむ橘の
殿の橘直照りにして
との二首の歌を詠んで元正太上天皇と諸兄の協力を讃え永遠の繁栄を願っている。
家持程「橘」を歌った人物は居ない。
特に越中在任時。
↑諸兄の事を心配してたのな。
で、歌でエールを送り続けた、と。
福麻呂も奈良麻呂の変の結果、池主らと共に除名された可能性が強い。
諸兄、家持、福麻呂の三者は「万葉集」以前に政治的立場からくる紐帯が底辺にあった。
↑大伴旅人と家持がタイトルにある本なのに主役は橘諸兄と藤原仲麻呂。
でもって、この本を読んで知ったのは光明皇后が名前と違って性悪だって事。
権力欲が半端無い。
今日はここまで。
17時半から夕食作り。

豆乳スープ、ミートローフ、玄米ご飯、サラダ、竹輪チーズ、ウォッカ梅酒ロック。

ミートローフは鶏ひき肉と豆腐に中華麹と鰹節のだしがらを混ぜ込んだ。
何も掛けなくても味わい深くて美味しかった。
食後はお風呂で温まった。
後片付けを済ませたら営業終了。
ブログ編集中に夫からチャットAIドット・コムのURLが送られてきた。
夕食の時もめっちゃ勧められた。
試しに「安積親王を暗殺したのは光明皇后?」と質問したら次の回答が。

安積親王は聖武天皇の皇子で光明皇后は聖武天皇の奥さんなのだが。
やはり、自分で調べるのが一番やな。
歩数計は8209。
充実した一日だった。