2025/3/9日曜日
5時半に起床し最新情報をチェック。
6時に起床し米麹の品温をチェック。

43.2度をヒット。
昨日から発酵機は30度設定。
それでも麹菌の力でここまで品温が上昇。
ここからは発酵機のスイッチをオフにして毛布で保温スタート。
次に、レアチーズケーキ作り。
クラッカーと溶かしバターで土台を作ったらミキサーで撹拌した材料を型へ流し込み。
冷蔵庫並みに寒い自室に置いて固める事に。
最後にヤロー共の昼食のチャーハン作り。
洗濯と水遣りも済ませたら、読書と調べ物。
昨日に引き続き平林章仁著「謎の古代豪族 葛城氏」
〈忍海(おしみ)氏と元号「大宝」の由来〉
「紀」天武天皇三(674)年三月条に「対馬国司の忍海造大国が初めて銀が産出したので貢上する」と報告。
その功績により小錦下位(後の従五位)を授けられたとある。
「延喜式」神名帳には対馬島下県郡に銀山上(しろがねやまのかみ)神社と銀山(しろがねやま)神社(いずれも長崎県対馬市厳原いずはら町)が載るが、対馬島は平安時代まで税の一つである調として銀を納めた。
対馬島の銀鉱石の採掘と精錬は忍海造氏によって始められた。
「続日本紀」大宝元年三月二十一日に「対馬島が金を貢上したので大宝の元号を建てた」とある。
同年八月条に「是より先、大伴宿禰御行が大倭国忍海郡の三田首五瀬を対馬嶋に派遣し黄金を治成させた。五瀬には正六位上を授け50戸の農家と田10町、高級な織物を与え雑戸の籍から除いた」ともある。
ところが、後日これが三田首五瀬の詐欺と発覚。
大伴宿禰御行が騙された、と「続日本紀」同条「年代暦」に記している。
三田は御田で皇室領の事で三田首は現地管理責任者。
三田首五瀬は金属生産の知識・技術を保有していたが彼の王権内での職務は忍海部の御田の管理。
忍海部の御田とは安康天皇を殺害した眉輪王を匿った事の贖罪に葛城円大臣が雄略天皇に差し出した「葛城宅七区(かつらぎのいえななところ)」(五処之屯宅いつところのみやけ)乃至は飯豊皇女と忍海角刺宮が地域基盤とした天皇家領に由来すると考えられる。
延喜式内大社の葛木御県神社が律令制下の葛下郡南端の飯豊皇女を葬っていると見られる北花内大塚古墳の北西約700mの葛城市葛木に鎮座するのも参考。
「紀」の天武天皇七(678)年九月に忍海造能摩呂が茎から枝分かれした「瑞稲」五茎を献上、とある。
忍海造氏が中国由来の目出度い事の前兆・祥瑞についての知識を有していた事も興味深い。
〈「葛木の御県」の誕生〉
忍海造氏の対馬島派遣は忍海造大国や三田首五瀬らの先祖は金属加工だけでなく対外交渉の実務も担っていた事を示唆。
「続日本紀」の養老三年十一月条に「忍海手人広道に久米直の姓を賜い雑戸の号を除く」とある。
忍海手人氏と久米(来目)直氏は同族関係。
顕宗天皇のまたの名は来目稚子。
播磨国赤石郡の縮見屯倉首忍海部造細目の元で顕宗・仁賢の二王を発見したのは山部連氏の先祖・伊予来目部小盾。
来目部の伴造である来目部小盾は播磨の来目稚子・嶋郎(しまのいらつこ)二王について事前に情報を得ていた可能性が高い。
葛城氏が滅び後ろ盾を喪失した二世王の顕宗・仁賢の兄弟は葛城氏の権力機構を支えていた忍海造氏や、同氏と同族的関係にあった来目氏らの庇護・援助により葛城氏系の天皇として即位が可能に。
忍海郎女・忍海部女王とも称された葛城氏系飯豊皇女が忍海角刺宮で一時的に王権の政務を執ったのも忍海造氏らの後援があってのこと。
そして、彼らは葛城氏縁の天皇・皇族として、天皇家所領の「葛城宅七区」(五処屯宅)を地域基盤に。
更に彼等が亡くなって以降は「葛木御県」に。
この領域は「記」に「五処の屯宅は今の葛城の五村の苑人なり」とある。
「ソノ」に関連する地名で確実に古代まで遡る地名は「倭名類聚抄」の忍海郡園人郷(葛城市忍海)のみ。
「新撰姓氏録」大和国諸蕃に「園人首。百済国の人、知豆神の後自り出づ」とある園人首氏の本貫でもあるから、葛木御県は忍海評を中心とする領域と見るのが妥当。
〈蘇我氏が所望した葛木御県〉
「紀」推古天皇三十二(624)年十月条には推古天皇と大臣・蘇我馬子の間に次のようなやりとりがあったと伝える。
馬子「葛城県は元々私の本居です。姓名もこの県に由来します。それで、末永くこの県を賜り私の所領としたく思います」
推古天皇「私は蘇我氏の出身です。大臣は私の叔父です。だから大臣の提案は即座に採用してきました。しかし、私の治世にこの県を失ったならば愚かな女性が天下を治めたのでたちまちその県を失ったと謂われましょう。私一人の未熟にとどまらず大臣も不忠とされて後世に悪名を残す事になります」
↑有名なエピソード。
これもあり、蘇我氏のイメージは悪い。
あくまで、わいの私見だが、色んな事の責任を蘇我氏になすりつけ、蘇我本家を滅ぼしてる。
更にこの記事では推古天皇が女性初の天皇である事を印象付けようとしている。
それを隠す為に推古天皇を創作。
聖徳太子上宮宮家が邪魔でしょうがなかったから、一族を皆殺しに。
相当祟りが怖かったんだろうね。
今日はここまで。
11時半に長男とお昼寝しない上の孫が到来。
一緒にお昼を食べた。
食後は夕食の下ごしらえ。
天板にグラタンやハンバーグを並べていると、孫が食べたさそうにしていた。

焼いてからな。
16時半からからオーブンでグリルをスタート。
25分焼いたが、ハンバーグは追加で更に30分焼いた。
二段だと火が通りにくい。
丁度ハンバーグが焼き上がった17時半に嫁と下の孫が到来。
早速出来たてを食べてもらった。
自分はお腹が空いていないので先に入浴。
お風呂から出てから食べた。
19時半からデザートのレアチーズケーキ。

長女が苺を買ってきてくれたのでトッピング。
孫達も喜んで食べていた。
長男一家は20時に帰って行った。
上の孫は結局お昼寝しないで過ごした。
凄い体力。
このあと、読書と調べ物をしてから寝る事に。
歩数計は6085。
充実した一日だった。