2025/3/5水曜日
5時に起床し豆麹の品温をチェック。

昨夜23時に発酵機のスイッチをオフにし、毛布を掛けて就寝。
品温は34.5度と適温。
このままあと2時間増殖してもらう事に。
次に長女の朝食とお弁当のおかず作り。

鶏とブロッコリーの五香粉炒めを絶賛された。
残ったおかずはヤロー共と自分のお昼のおかずに。
雨が降っているので洗濯と水遣りはお休み。
昨夜、大豆を浸水させるのを忘れたので今日の豆麹作りは無し。
7時にから5瓶目の醤油の仕込み。
アルコール消毒をした瓶に水と塩を入れ撹拌。
そこに出来上がったばかりの豆麹を投入。

よーく混ぜ混ぜ。

後ろの白いボウルで6瓶目用の大豆を浸水させている。
買物に行こうとしたら夫が車を使う、と言うので譲った。
8時から読書と調べ物。
再び、平林章仁著「謎の古代豪族 葛城氏」
葛城氏を貶める話が続くが暫しお付き合いをお願いしたい。
〈任務を怠り殺害された葛城玉田宿禰〉
四世紀末頃から葛城氏は西日本の主要な水運・海運網を掌握。
大和王権の対外交渉を主導し先進文物を優先的に導入。
強大な権勢を誇った。
が、五世紀後半になると葛城氏に関する記録が歴史書に見えなくなる。
五世紀後半から末に掛けて滅亡したと見られる。
「記」「紀」には天皇と葛城氏の軋轢・抗争も書かれている。
雄朝津間稚子宿禰という国風諡号が伝えられる第19代允恭天皇は父が仁徳天皇・母が葛城磐之媛で葛城氏系の天皇と言われている。
国風諡号に朝妻という地名が含まれるのは彼が葛城の朝妻に何らかの縁、例えばここで成長した、朝妻造氏が養育を担ったなどの事が考えられる。
しかし、允恭天皇と葛城氏の関係は良好では無かった。
「紀」允恭天皇五年七月条には「允恭天皇は葛城襲津彦孫の玉田宿禰に先代の反正天皇の殯(葬儀)を執り行うよう命じた。
ところが、責任者である玉田宿禰は任務を怠慢し、葛城に帰って男女を集め酒宴に耽っていた事が、進捗状況を視察に来た尾張連吾襲に知られた。
発覚を恐れた玉田宿禰は尾張連吾を殺害。そして、武内宿禰の墓域に隠れた。
それを聞いた天皇は兵士を遣わし玉田宿禰を殺害した」
玉田宿禰は葛上郡でも北東部に位置し、玉田の地名も残っていた玉手(御所市玉手)に縁のある人物と見られる。
この地は建内宿禰後裔系譜記事に葛城長江曾都比古の後裔氏族として見える玉手臣氏の本貫である。
第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは実在の確認が困難な事から闕史八代と呼ばれる。
「室秋津島宮」に居した第6代孝安天皇は死後「玉手丘上陵」に葬られたと伝えられる。
玉田宿禰の所伝で、彼が祖先の武内宿禰の墓域に逃げている事に注目。
そこに逃げ込めば天皇でさえ手出し出来ない聖域である、と知って逃げ込んだ。
こうした特別な聖域をアジールと言う。
古代に於いて有名なアジールに石上神宮があった。
そこには各地の豪族が大和王権に服属した証として差出した大量の神宝(多くは武器・武具)を収蔵する「天神庫(あめのほくら)」があった。
その祭祀は大和王権が特別に任命した「物部」の名を持つ祠官が担当。
律令制下でも神社殿舎の鍵は朝廷の管理下に置かれた特別な神社であった。
例えば允恭天皇の兄・履中天皇は即位前に弟・住吉仲皇子の攻撃を避け石上振神宮に逃れたとある。
高倉下命の孫である天忍男命(アメオシオノミコト)と、劔根命の娘である賀奈良知姫命(カナチラヒメノミコト)が婚姻を結び、生まれた瀛津世襲命(オキツヨソノミコト。別名を葛木彦命)が尾張氏の祖となったとされている。
「先代旧事本紀」には尾張連氏の祖・瀛津世襲命の前後の人物が葛木出石姫・葛木土神剣根命の娘の賀奈良知姫・葛城尾治置姫・葛木避姫らを妻に迎えた、と書かれている。
一昨日は「日本書紀」に書かれている各種エピソードを読んでいるうちに辟易。
アホらしくなって途中で読むのを止めた。
そのうちの幾つかを紹介。
シナリオ[葛城編]①葛城玉田宿禰
仕事しないで男女を集め酒宴→允恭天皇が殺害。
[吉備編]②下道臣前津屋が小女を天皇の人とし大女を自分の人として闘わせ小女が勝つと刀を抜いて殺す。
③毛を抜き翼を剪った小さな雄鶏を天皇の鶏とし、鈴や金属の蹴爪を付けた大きな雄鶏を自分の鶏として闘わせ小さな雄鶏が勝つと刀を抜いて殺す。
それを受け雄略天皇は物部の兵士30人を派遣し下道臣前津屋と一族70名を殺害。
④雄略天皇は吉備上道臣田狭の妻稚媛が美女と聞いて自分の后にしたいと考えた。
⑤吉備上道臣田狭の次男の弟君は「新羅を攻撃」という天皇の命に反した。
弟君の妻の樟(くす)媛は夫を殺し、百済が献上した陶部・鞍部・錦部・画部ら工人集団を引き連れて帰国。
彼等が新漢人(いまきのあやひと)である。
↑殺す口実にしてもストーリーがハチャメチャ。
もちっとマシなシナリオライター居なかったんか?
ちなみに、蘇我氏は鞍作臣と言われた。
確か吉備国(岡山県)児島に蘇我氏の屯倉があった。
へんてこりんなエピソードを書いて、やってる事は天皇家とそれを支える豪族を貶める事。
確か、天皇が女性達に上半身裸で相撲を取らせたとかいうエピソードもあった。
武烈天皇かな。
んな事するわけが無い。
あと、神武天皇がトイレで奥さんの◯を見て見初めたとか、ヤマトモモソヒメが陰部に箸を突っ込んで死んだ、とか。
下ネタ好きな奴が自分の持ってる知識と語彙を総動員して書いたとしか思えん。
ちなみに吉備臣は孝霊天皇の皇子達の子孫。
生粋の大和民族出身の皇族だから邪魔だったのな。
次のエピソード⑥允恭天皇の後を継いだ安康天皇は弟の大泊瀬皇子(雄略天皇)の妻に大草香皇子の妹の草香幡梭姫皇女を迎えようと坂本臣氏の祖根使主を派遣。
大草香皇子が承諾の印に贈った押木玉鬘(冠)に心を奪われた根使主は大草香皇子が拒否したと天皇に虚偽の報告。
安康天皇は(裏も取らず)大草香皇子の家を取り囲んで殺害。
天皇は大草香皇子の妻の中磯皇女(長田大娘皇女)を奪って皇后に立て草香幡多皇女を大泊瀬皇子の妻にした。
大草香皇子の遺児眉輪王は安康天皇が昼寝中を襲い殺した。
↑突っ込みどころ満載なストーリー。
安康天皇が部下の嘘を信じて大草香皇子を誤って殺したとして、何で皇子の妃を略奪するとか盗賊紛いの事を?
で、昼寝中に殺されるとか、危機管理無さすぎ。
てか、 「日本書紀」は相当脚色されとるから。
嘘も一杯書かれてる。
大草香皇子と草香幡多皇女の母は日向髪長媛で父は日向諸県君氏で南九州の大豪族。隼人集団を配下に持ち、河内の日下に進出。
「続日本紀」の天平三(731)年七月条によると宮廷の儀礼で諸県君氏の八人で構成された諸県舞が舞われている。
その日下宮を拠り所とした眉輪王が危機に際し葛城円大臣を頼った事は葛城氏と日下氏の親密な関係を示唆。
日向国児湯郷に平群卿(宮崎県西都市平群)が見える。
雄略天皇による眉輪王の焼殺は葛城氏と日向氏の連携を断ち、天皇親政の王権機構が整備されたか。葛城円大臣は葛城氏最後の大臣。
↑ちなみに、神武天皇と日向のアビラメ姫の間の皇子・神八井耳のお墓と神社が橿原神宮にある。山本氏が弔った。
https://ameblo.jp/keith4862/entry-12399278292.html
日本書紀の中にあるへんてこりんなエピソードの一部を紹介出来て良かった。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
17時から夕食作り。

白菜と大根の酒粕コンソメスープ、ラザニア、大根サラダ、昨日の残りのきんぴら、朝の残りのおかず達、ウォッカ梅酒ロック。
久々に作ったラザニアが大好評だった。
お皿を洗ったら営業終了。
読書と調べ物をする事に。
歩数計は4491。
充実した一日だった。