arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1266日目とひな祭りと葛城氏③

2025/3/1土曜日

5時半に起床し豆麹の品温をチェック。

34.7度をヒット。

そのまま、発酵機はオフのまま庫内に戻し、毛布を2枚掛けて保温。

次に、納豆の仕込み。

納豆用大豆を蒸している間に洗濯とベランダガーデニングの水遣り。

蒸し上がった大豆に納豆菌を混ぜてからヨーグルトメーカーにイン。

9時半に豆麹を出麹。

そして、隣の昨夜から浸水させている大豆を蒸す作業をスタート。

その間に出麹した豆麹で第三回醤油仕込み。

それが終わったら昨日から絞っている昨年度仕込んだ醤油の液体分を瓶に移す作業。

約1リットル分の醤油をゲット。

加えて、大量の醪もゲット。

醪は醤油と同じ様に調味料として使える。

勿論、もろキュウ用の醪味噌としても。

11時に豆麹に種麹をまぶす作業。

30度台に下がってから種麹菌と炒った小麦をまぶした。

そして、発酵機内へイン。

今日は気温も20度と暖かいので発酵機のスイッチはオフのまま。

毛布2枚を掛けて保温した。

12時に昨夜以来の食事。

納豆と豆乳スープメインでお腹を満たした。

12時半に上の孫が夫と長女と共に来訪。

昼食を食べ、13時半からお昼寝を開始したので自分も休憩。

読書と調べ物をする事に。

 

昨日に引き続き平林章仁著「謎の古代豪族 葛城氏」

 

息長氏と手を結んだ理由
延喜式』の陵墓に関する規定には磐之媛の『平城坂上墓』は大和国添上郡にある。が、墓を管理する『守戸』が居ないから神功皇后の『狭城盾列池上陵』の守戸に兼任。

これらの陵墓は奈良市北部に分布。

古墳時代前期から中期に掛けての200m超えの巨大古墳が集中する佐紀盾列古墳群中にある。

宮内庁磐之媛墓をヒシアゲ古墳。

磐之媛は本貫の葛城では無く、先の歌を詠んだ奈良坂の地に築かれた。
百済系渡来集団で絹の機織技術を持つ奴理能美の家が山城の筒木宮(京都府田辺市付近)にあり磐之媛がそこに筒木宮を営み住んだ事は先に触れた。

ここは近江国坂田郡を本貫とする息長君氏の山城国における拠点。
嘉吉元(1441)年成立の「興福寺官務牒疏」に引く「普賢寺補略録」には京田辺市にある普賢寺の山号を息長山と言い、同寺の鎮守である延喜式内社の朱智神社には息長帯比売命神功皇后)の祖父・迦邇米雷王を祭ると伝えている。
ここで式外社について簡単に説明。
延喜式」巻第九・十には朝廷の神祇祭祀を管掌した役所・神祇官が管轄した全国の神社が、国郡別に記載されている。

それは「延喜式神名帳と称され、古代の神祇祭祀を考える際の基本文献の一つ。

ここに登載されている神社を式内社と言う。
式外社には律令制以前からの伝統を継承した神社が少なくない。

中でも「名神大社」に位置付けられる神社は特に格式が高く重要な歴史を踏まえているものが多い。
全国の式内社は2861社、3132座(一つの神社で祭神が複数の場合がある為社と座の数は一致しない)ある。

大和王権の発祥地である大和国が最も多い。

特に天皇家の基盤である高市郡・城上郡と共に葛城氏の基盤である葛上郡葛下郡は群を抜いて多い。
息長君氏が山城国南部の木津川流域に拠地を領有。
新撰姓氏録山城国皇別条に「応神天皇の三世孫、阿居乃王の後なり」とする息長竹原公氏が見える事からも証明出来る。

息長竹原公は朱智神社北方、久世郡麻倉郷竹原里(京都府久世郡久御山町)を本拠とした。

息長君氏の同族であろう。
葛城氏と息長君氏は親密。
「記」応神天皇段に記される、新羅国主の子・アメノヒボコの後裔系譜からも知る事が出来る。

アメノヒボコー多遅摩母呂須玖(たじまもろすく)ー多遅摩斐泥ー多遅摩毛理ー多遅摩比多訶・清日子と続き、清日子が當摩之咩斐(たぎまのめひ)との間に酢鹿之諸男(すがのもろお)と菅竃由良度美(すがかまゆらとみ)を儲けた。
多遅摩比多訶が菅竃由良度美を娶って生まれたのが神功皇后の母の葛城之高額比売命である。

葛下郡に當麻郷(葛城市當麻)があるから葛城に縁のある女性と見られる。
「紀」ではアメノヒボコの渡来は第十一代の垂仁天皇の時とする。

気長足姫命の父・母は気長宿禰王・葛城高額媛と記す。

応神天皇の母である神功皇后の母と曽祖母は葛城の高額(葛下郡高額郷)・當摩(葛下郡當麻郷)といずれも葛城の地名を負う女性である。
葛城氏と結び付いた天皇の系統が武烈天皇で断絶した後、息長君氏や尾張連氏などを後背勢力として即位する継体天皇が即位20年後に大和国の磐余玉穂宮(奈良県桜井市西南部)へ還るまで居していたのが河内国の樟葉宮(大阪府枚方市樟葉)・筒城宮・山城国の弟国宮(京都府長岡京市)という淀川・木津川流域だった。
これらの地は即位前からの地域基盤だったが、継体天皇は淀川・宇治川・木津川・琵琶湖の水運網を中心とする地域的・政治的な結合を直接的な権力基盤として即位した。
水運網や息長君氏などが葛城氏のそれと大部分で重複。
継体天皇の即位が葛城氏の滅亡や5世紀の天皇家の断絶と無関係ではなかった事を示している。

式内社大和国に最も多い事、特に天皇家の基盤の地域と葛城氏の基盤の地域に多い事もわかる。

大淡上方様の家系の天皇家高皇産霊神の家系の葛木氏は古代、まだ、飛騨に政権があった頃から度重なる婚姻で繋がっている。

それが、飛騨から大和に移動した後に、葛木氏が葛城氏になって、中身もめっちゃ渡来系に変身しとる。

背乗りしたんだろうね。

今日はここまで。

15時半からひな祭りメニューの用意。

16時に嫁と下の孫も到来。

手巻き寿司と鯛の潮汁。

寿司ネタはマグロ、中トロ、サーモン、しめ鯖、しめ鰊、いくら、納豆、卵焼き、ソーセージ、竹輪を用意。

出し忘れていた蛸とネギトロも後から追加した。

嫁が寿司飯とケーキを作って来てくれた。

19時にデザートのケーキを食べ、長男一家は20時に帰って行った。

お皿は嫁と長女と自分の3人で交代で洗った。

最高のひな祭りパーティーだった。

読書と調べ物をしてから寝ることに。

 

歩数計は7283。

充実した一日だった。