2025/2/17月曜日
6時半に起床し洗濯とベランダガーデニングの水遣り。
8時45分に自転車で買い物へ。
伊奈町で種芋を購入。
帰る途中、スーパーで買物。
11時に帰宅後、そのまま食事とおやつ作り。

本日のおやつはリンゴの皮ケーキと焼き芋。
12時に昨夜以来の食事。
ビビンバを用意。
コチュジャンでタレも作った。
夫が喜んで食べていた。
午後は読書。
ルーペルツベルク修道院は創立からほぼ500年後の三十年戦争(1619~1648年)下に、南下してきたスウェーデン軍によって跡形も無く破壊された。
今日、ヒルデガルト時代の面影を偲ばせるものは何もない。
ディジボーデンベルクからルーペルツベルクへの移動が実現すると新しい環境が貴族出身の子女に大きな負担だと判明。
険しい傾斜地の荒地に宿舎だけが建っている。
間もなく礼拝堂が完成。
しかし、厩もまぐさ小屋も、粉挽き小屋も、パン焼き小屋も、洗濯場も、病院も、全てはこれから。
辺りは建設現場そのもの。
更に、新しい女子修道院には寄進する信者も居ない。
建設予算にしてから目処が立たない。
何人かの幼い修道女志願者が劣悪な環境施設に耐え切れずルーペルツベルクを去った。
これはヒルデガルトにとってさしたる打撃ではなかった。
最大の衝撃は忠実な助手シュターデのリヒャルディスの離反であった。
リヒャルディスの離反はディジボーデンベルク修道院のクーノ修道院長が背後で画策。
辺境伯夫人の後ろ盾を失い、マインツ司教ハインリヒの支援も得られず、教皇からも素っ気なくされたヒルデガルトにクーノ修道院長は容赦無かった。
↑人気アイドルが芸能事務所を退所した後に仕事干されるのと同じ匂いがする。
リヒャルディスのルーペルツベルク離脱に続いて著作「スキヴィアス」の最も重要な協力者たるフォルマール修道士のディジボーデンベルクへの引き揚げを要求。
↑マネージャーも取り上げた、と。
重い病の床に伏したヒルデガルトはまたしても「ヴィジョン」を見た。
↑神のお告げ、な。
『すぐにディジボーデンベルクに騎行して要求を突き付けるが良い』とヴィジョンは命じた。
しかし、今の今まで病床に伏していた60歳近い女の身が6時間の騎行に堪えられる訳が無い。
周囲は思い止まらせようとするがヒルデガルトは振り切って馬に跨った。
ディジボーデンベルク修道院は不意を襲われた。
クーノは驚愕。
重病と聞いていたヒルデガルトが突然眼前に現れた。
ヒルデガルトは修道士全員を一堂に会せしめた。
それから、クーノに真っ向から火のような言葉を浴びせた。
「私は真のヴィジョンを体験したので、この地の父なる修道院長(クーノ)に向かって言った。《明るく輝く光(←神様か)が語る、«そなたは父として我らが指導司祭(ここではフォルマールを指す)を司り、我が娘達の神秘の園の幸せを司るが宜しい。しかしながら我が娘達が当僧院にもたらした財産はそなた達の物でも無ければ、そなたの兄弟のものでもない。あべこべにそなた達の地はあの娘達の避難所なのだ。»(略)そなた達のあるものは不当にも《我らは彼女達の持分を減らしたい》と申された。では、有りて在る者なる私が申し上げる、そなた達は極悪の泥棒だ!」
↑神から「泥棒」言われちゃった。
ここでヒルデガルトが財産問題に触れているのはディジボーデンベルクを引き揚げる際に修道女達は同院のクラウゼ入りする時に寄進した土地や財宝の所有権をそのままにしてきたからであった。
それらは引っ越しのどさくさでディジボーデンベルクに一時預けてきはしたものの本来はルーペルツベルクの所有に帰すべきである。
それを曖昧にして横領せんとするクーノらの策謀を黙許するわけにいかない。
ヒルデガルトは更に畳み掛けた。
「そなた達が我らから指導司祭兼司牧者なる人(フォルマール)を修道女から引き離そうとなさるなら、そなた達は正しく悪魔ベリアルの息子共そっくりであって、神の正義を一片だに持ち合わせておられぬ。であるからにして、神の懲罰の審判達はそなた達を剿滅(そうめつ)するであろう」
クーノ以下ディジボーデンベルクの全修道士は震え上がった。
直ちに土地台帳その他の証書を差出し、フォルマールの司祭職在任をも認めた。
これが所謂「ディジボーデンベルク騎行」事件である。
1155年の「騎行」の直後にクーノは死去。
↑ちなみに、ルーペルツベルクを離脱したリヒャルディスも後悔に苛まれながら1年後に夭折。
今日はここまで。
17時から夕食作り。

鮭カマと鮭ハラス、鶏ささみの黒酢あん、チーズ、豆サラダ、残り物のコンソメスープ、ビビンバ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物をする事に。
歩数計は6763。
買物サイクリング17kmが爽快だった。