arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1252日目とビンゲンの聖女ヒルデガルト③

2025/2/15土曜日

7時に起床し昼食と夕食の下拵え。

洗濯とベランダガーデニングの水遣りを済ませたら10時半から読書と調べ物。

 

昨日に引き続きヒルデガルト本。

野田浩資・飯嶋慶子著「聖女ヒルデガルトに学ぶ、現代に活きる薬草学とレシピ 中世修道院の食卓」

 

p.128「修道院の生活 規則正しい日々のルーティンと食生活」
修道士や修道女は11世紀頃まで「聖ベネディクトゥスの戒律」に従って生活していた。

「時課」という決められた時刻に集まって行う礼拝、そして、その合間の労働など規則正しい生活を送っていた。
時課は中世では午前2時!のVigil, 午前6時のPrin, 午前6時~7時の朝の祈りのLaudes, 午前9時のTerz, 正午のSext, 午後3時のNon, 夕方6時のVesper, そして、一日の最後の祈りのKompletなどがあり、現在でも修道院では殆ど変わらずに連綿と続けられている。
食事は復活祭から聖霊降誕祭(復活祭後の第7日曜日)までの僅かな期間だけ正午と夕方の一日2回摂ることが出来たが、それ以外は午後3時の一日1回のみ。
食事の内容も細かく定められていた。
一日に約300gのパンにスープ若しくはライ麦、大麦、オート麦やスペルト小麦などの穀物類か豆のお粥と野菜の煮物などのおかずが2品。

当時はオニオン、パースニップ、人参、カボチャ、フェンネル、セロリ、ガーリック、リーキ、ラディッシュなどの野菜が食べられていたのでこれらのスープや煮物が出されていたか。

それに、リンゴ、いちじく、梨、プラムや苺などの果物若しくは生野菜。

生野菜はソレル(スイバ)、レタスやフダンソウ(スイスチャード)か。

そして、ワイン、蜂蜜入りワイン、蜂蜜酒、若しくはビールなどのアルコール類も付いていた。

菜食中心。

肉類は病人に対して以外は禁止。

肉類の代わりに豆類や卵、乳製品などを摂るよう定めていた。

魚類を食べる事は推奨されていた為よく食べられていた。

中世ヨーロッパではタラやニシンなどの海水魚や、カワカマス、鯉、パーチ、ヤツメウナギやトラウトなどの淡水魚がよく食べられていた。


修道院の建物環境
修道院には礼拝所、会議室、図書館、南向きの日のよく当たる場所に設けられる写本堂、食堂があった。
食堂の隣には修道院の中で唯一暖房がある暖かい部屋、厨房に修道士達の部屋、そしてこれらの部屋の丁度中心に設けられていたのが回廊。

回廊は修道院の中で最も重要な場所とされ外部の者が許可なく入る事は許されなかった。

ここは修道士達がほっと一息出来る憩いの空間。

ここでは自由に会話する事が許された。
そして、自給自足の生活を送る為、敷地には農園、薬草園、養魚池等があった。
労働の時間に修道士達が行っていたのは農作業、宗教についての勉強、写本、見習い修練士への指導、祈りの朗読。
中世盛期(11~13世紀)に入り修道院が税金の免除や寄付などで領地を得るなどして裕福になり組織運営に長けて来ると、農作業などの肉体労働は助修士農奴を雇って任せるようになり、空いた時間を聖書の研究や手書きの写本の製作など学問の研究により多くの時間を割くように。
学問をする為に修道士になった者も少なくなかった。
パラケルススの母親が教会の隷属民だった、というのは、この「農奴」の事なのだろうか。

お父さんは教会内の病院に医師として雇われていた。


一方修道女達は食事は一日3回。

労働の時間は一日5時間と定められ、読書、習字、宗教書などの挿絵描き、写本などに多くの時間を費やした。

また、ローブや礼拝で使用する布地に刺繍をするなど針仕事も。

修道女は修道士達よりも修道院の周辺に住む一般の人々との密な交流があり自分達で縫った服や食物を貧しい人々に配布する、病人を世話する、困っている女性を助ける、ホスピス施設を提供する、子供達に勉強を教えるなどの慈善活動を行っていた。


修道女の資質
中世の修道女は知識と教養を備えた貴族出身の女性が殆ど。

というのも、中世では貴族の女性は自分と同じレベルの家柄の経済力のある男性と結婚するか修道院に入るかの選択肢しか無かった。
↑日本もそう。
天皇の子供である親王内親王でさえ、多くがお寺に入り門跡となった。


ユッタ・フォン・シュポンハイムのように自ら志願して修道院に入る女性も居たが、何人もいる娘の全員を嫁がせられないという理由で小さいうちに修道院に入れられた女性も。

小さいうちに修道生活献身者として修道院に預けられると、読み書きや聖書や賛美歌などを教えられ、後に見習いの修道女、そして、何年かして10代半ばになると正式な修道女になる事が出来た。


ゲーテも愛したフランクフルターグリューネゾーセ
フランクフルト名物にフランクフルターグリューネゾーセ(フランクフルト風グリーンソース)がある。
パセリ、チャイブ、イタリアンパセリ、クレソン羅スイバ、エストラゴン、ディルなど7種類のハーブを細かく刻んで、マヨネーズ、ゆで卵、サワークリームなどと和えたソース。
グリューネゾーセは聖金曜日イースター前の金曜日)の前日「緑の金曜日」に初物として食べるのが伝統。新鮮なハーブが栽培される初秋までがシーズン。
ヘッセン州の市場ではグリューネゾーセ用ハーブがセットで売られている。
また、初夏にフランクフルトのロスマルクト広場ではグリューネゾーセ祭りが行われる。

この緑のソースの歴史は古代ローマに遡る。その頃既に南ヨーロッパにはイタリアのサルサヴェルデ、カナリア諸島のモホヴェルデなど緑のハーブを使ったソースが存在。
貿易が盛んだったフランクフルトの町には南ヨーロッパから沢山の野菜やハーブが入荷。 

1700年代、あるドイツ人がモホヴェルデを真似て緑の葉だけでソースを作ったそうだ。

フランクフルトが誇る文豪ゲーテもこのソースが好物だったそう。

 

12時に昨夜以来の食事。

納豆ご飯とモツ味噌煮をハフハフしながら食べた。

午後も読書と調べ物。

15時半から夕食作り。

17時過ぎに長男一家が到来。

モツストロガノフ、鰯ハンバーグ、海老と根菜のシーザーサラダ、ウォッカ梅酒ロック。

家でブームのサワークリームを使い、ストロガノフとシーザードレッシングを作製。

どちらも大好評だった。

お皿は長女が洗ってくれた。

長男一家は19時に帰って行った。

お風呂に入ったら読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は5950。

充実した一日だった。