2025/2/11火曜日
6時に起床しベランダガーデニングの水遣り。
ヤロー共の昼食を作ったら、長男一家への差し入れをお届けに。
やる事やったら読書。
神亀4年727年
9/21渤海郡王(渤海は7~10世紀頃、中国東北部から朝鮮北部まで領有した国)の使者、首領・高斉德ら8人が出羽国に来着(この前に蝦夷に襲われるという難にあっていた)
↑国交の無い外国人がいきなり現れたらしゃーないやろ。
「大風が吹いて家屋を破壊し秋の収穫に損害を与えました。
上総国も言上。
「山崩れによって圧死者が70人出ました」
両国に物を恵み与えた。
↑能登半島地震で甚大な被害に遭ったのは言上しなくても知ってるだろうに、、、、、。
11/2詔。
「朕は皇子の誕生を恵まれた。この皇子を皇太子に立てる事とする。このことを百官に布告して全ての者に知らせよ。」
↑皇子は9/29生まれだからまだ生後一ヶ月。
首も座ってない赤ちゃんを立太子とか。
儀式とかどうやってやったんだ?
12/20渤海郡王の使者の高斉德らが入京。
12/29渤海使らに衣服と冠・履物を賜った。
この国の朝貢は久しく絶えていたが、王は寧遠将軍の高仁義ら24人を我が朝へ派遣。が、蝦夷の地に漂着した為に仁義以下16人が殺害され首領の高斉德ら8人が僅かに死を免れて来朝。
↑蝦夷は極寒の地で食糧に乏しいから移民は受け入れない掟だったんよ。
神亀5年728年長屋王事変まで1年
4/1日蝕。
4/11 陸奥国が白河の軍団を設ける。
4/15太政官(長屋王)は次のように奏上。
美作国が言上しますのに「部内の大庭・真島の2郡が1年間に上納する庸米は860余斛。2郡は都と山河に隔てられ遠く離れ運送は大変困難で人馬共に疲れて出費は極めて多いものがあります。どうか重い米を上納する事に換えて軽い真綿や鉄にして頂きたい」と。
また、諸国の国司らが言上して言うのに「調物を運送するのに京までの道のりは遠く、百姓らの疲労は極めて多いものがあります。外位の官人の位禄は京に輸送すべきものの一部を留め置いて、便宜に当地方の官人の位禄に支給される事を要望します」と。
臣下の私共が考慮しますのに、何れも申請の通りにしたいと思いますので天皇の決裁をお願いいたします。
奏した事を許可された。
この時から諸国の郡司と隼人らが外五位を授かった場合、その位禄は居住地で与えられる事に。
5/16左右の京内の百姓で長雨による損害を受けた者700余戸に麻布・籾・塩わ損害の程度や戸口の数に応じて与えた。
5/20太白(金星)が昼間に見えた。
8/21次のように勅した。
「皇太子の病が日を重ねても癒らない。三宝(仏法僧)の威力に頼らなければどうして病気を逃れる事が出来ようか。そこで、謹んで観世音菩薩像177体を造り、併せて観音経177部を写し、仏像を礼拝し経典を転読し、一日行道(経を唱えながら仏像や仏殿の周りを巡る行)を行いたいと思う。この功徳によって皇太子の健康の恢復を期待したい。」
8/4(日付の乱れ)太白(金星)が昼間現れる。
9/13 皇太子が薨じる。
2歳だった。
9/29夜流れ星があり長さは二丈余り。
赤く光る尾を引き、最後は4つに切れて散り散りになり宮中に落ちた。
11/1雷鳴。
天平元年729年遂に長屋王事変の年
2/1左京の住人である従七位下の漆部造君足(ぬりべのみやっこきみたり)と無位の中臣宮処連東人(なかとみのみやこのむらじあずまひと)らが「左大臣・正二位の長屋王は秘かに左道(邪道。ここでは妖術)を学び国家(天皇)を倒そうとしています」と密告。
天皇はその夜、使を遣わして三関(鈴鹿・不破・愛発)を固く守らせた。
また、この為、式部卿・従三位の藤原朝臣宇合・衛門佐の従五位下の佐味朝臣虫麻呂・左衛士佐の外従五位下の津嶋朝臣家道・右衛士佐の外従五位下の紀朝臣佐比物らを遣わして、六衛府の兵士を引率して長屋王の邸を包囲させた。
↑誣告は藤原が仕組んだかもしれないが、兵士の派遣は聖武天皇が命令しとるな。
一番の功臣から事情も聞かずに。
2/11巳の時(午前10時前後)一品の舎人親王と新田部親王、大納言従二位の多治比真人池守、中納言正三位の藤原朝臣武智麻呂、右中弁・従五位下の小野朝臣牛養、少納言・外従五位下の巨勢朝臣宿奈麻呂らを長屋王の邸に遣わし、その罪を追求し訊問させた。
2/12長屋王を自殺させた。
その妻で二品の吉備内親王、息子で従四位下の膳夫王・無位の桑田王・葛木王・鈎取王らも長屋王と同じく自ら首を括って死んだ。
そこで、邸内に残る人々を皆捕らえて、左右の衛士府や兵衛府などに監禁した。
2/13天皇は使を遣わして、長屋王と吉備内親王の遺骸を生駒山に葬った。
そして勅した。
「吉備内親王には罪がないから例に準じて葬送せよ。」
↑長屋王には不比等次女の藤原長娥子が嫁ぎ3男1女を儲けていたがお咎め無しだった。
あからさまやな。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%95%B7%E5%A8%A5%E5%AD%90
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
夫にはペペロンチーノを用意。
喜んで食べていた。
14時半に車でつくば市での法事へ。
18時から親族で会食。
故人を偲んだ。
20時半にお開きに。
21時にホテルへ。
読書と調べ物をしてから寝ることに。
歩数計は3345。
充実した一日だった。