2025/2/8土曜日
6時半に起床し昼食と夕食の下拵え。
合間に洗濯とベランダガーデニングの水遣り。
やる事やったらアルバムと写真の整理。
年が明けてから訃報が続いている。
故人達を偲びながら思い出の写真をプリントしそれぞれの遺族に渡す事に。
12時に昨夜以来の食事。
午後は読書と調べ物。
養老6年722年
2/27詔。
「市で行う交易についてはもとより物の値段は定められている。
ところがこの頃この規定が守られて居ない事が多い。
その為、こうした不法の根本を断絶しようと思うと生業を失う家があり、末端の不法を禁止しなかったら邪な者達が蔓延る。
そこで新たに銭を使用する上の便宜を図り、人民が利益を得る事が出来るようにしたい。
それで銭二百文を銀一両に充てることにせよ。
そして買い物の値打ちによって価格の多少は時の状況によって定め、これを永く変わらぬ方式とせよ。
もし違反する者があれば職事官の主典以上の者はその年の考労(評定の対象となる勤務)を除去し、この他の者は蔭贖を問わず杖60の刑とせよ。」
↑この時代は杖の刑があったのな。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%96%E7%BD%AA
3/1日蝕。
4/21詔。
「朕は遙かに千年の歴史を思い広く学問の諸流を見て詳しく政治の方法を考えてみたが憐れみと思いやりに基づく方式より勝れた物は無い。
其れ故遠方の地域も差別する事無く憐れみ恵み国内の隅々まで慈しみ育てる思いやりを及ぼした。
今、有司の奏言によると諸国の罪人は41人。
法に照らすと全員流罪以上に当たる者であると言う。
朕はこの奏言を聞いて大変此れを哀れに思う。
国中何処でも罪を犯す者があればその責任は吾1人にある。
そこで奏上された罪人及びその罪に関わりのあった者は全員放免せよ。
後から取調べすることも禁ずる」
元正天皇、優しいね。
罪人があればその責任は吾にあり、て、国のトップとしてなかなか言えない。
罪人が全国で41人て各都道府県に1人て事。
この時代は犯罪者が殆ど居なかった。
閏4/25太政官が奏上。
「この頃、辺境の郡の人民が俄に賊の侵略を受けその為西や東に逃げ惑い散り散りに分散しています。
もし今憐れみと恵みを与えないと恐らく後に憂いを残すでしょう。
それゆえ聖王が制度を立てる時は辺境の人民の暮らしの充実に努めるのは中央の安全を図る中国の例にも見られます。
そこで次のように請願致します。
陸奥国の按察使が管轄する人民の庸・調をだんだんに免除し、農耕と養蚕を勧め行わせ乗馬と弓を習わせ、辺境を助ける為に徴収する税は蝦夷に与えられる録に充てたいと思います。
その税は管内の兵卒1人について、長さ1丈3尺・幅1尺8寸の麻布を出させる事にし、3人分の布で一端とします。
また、食物は人民にとって最も大切なものであります。
其れ故、食に備える為、時宜に適った方策を設ける事は国を治めるのに重要な政策です。
そこで次のように請願します。
農業を奨励して穀を蓄え水害や旱魃に備えますがそれについては所司に委任して人夫を徴集し、肥沃な土地の開墾をして、良田百万町を増やしたいと思います。
人夫の賦役は10日を限度とし食糧を支給。使用する農具は官物を貸し与え、秋の収穫で、それらの道具を農民たちに造り備えさせます。
もし、国司・郡司で偽ってこの仕事を遅らせ、敢えて開墾しない者があれば何れもすぐさま解任。
恩赦のある場合でも赦す範囲に入れません。
もし国内の百姓で荒野や未耕地に労力を加えて雑穀三千石以上を収穫する者があれば勲6等を賜い、一千石以上の時は終身租税負担を免除したいと思います。
現に八位以上の位階を持っていれば勲位一段階を加えることにします。
また公私の出挙(貸し付けて利息を取る事)の利息は3割に、、、、」
この奏上を可として許可された。
太政官、優秀やな。
5/20右大臣長屋王(親王な)に稲十万束・穀(籾)四百斛を賜った。
↑もしかして奏言した太政官て、長屋王?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%AE%98
ウィキの「太政官」によると、この時の長官は右大臣の長屋親王やないかー!
素晴らしい政策の数々✨️
7/3客星(常には無くて臨時に現れる星←なんじゃそれ?)があって北斗七星の柄の辺りに5日間程現れた。
7/7詔。
「この頃、陰陽が乱れて災害や旱魃がしきりにある。
その為、名山に幣帛を捧げ天神地祇をお祀りしたが恵みの雨はまだ降らず、人民は業を失ってしまった。
これは朕の徳が薄い為に起こった事であろうか。
人民に何の罪があってこのように大地が焼け焦げ作物が萎れるのか。天下に恩赦を行う事にする。
7/10太政官は奏上した。
「、、、この頃、在京の僧尼等は浅い智識と軽薄な智恵で、罪と福との因果を巧みに説き、戒律を守る事無く、都下の民衆を偽り迷わせています。
彼らは内には聖人の教えを汚し、外には帝王の道を崩し、人の妻子を剃髪させ、膚にしるしを刻ませ、どうかすると仏法の為と称して、容易く自分の家から抜け出させています。
こうして、妻子らは法規を恐れる事無く、親や夫も顧みないで、経を背に負い鉢を捧げて食を巷に乞い、邪説を唱えて、村里の中に身を寄せ宿とし、怪しげな事を言い触らす者達が群れを成しています。
初めは仏道修行のように似ていても、最後は邪な乱れに陥っています。その弊害が永く残る事を案ずると、特にきつく禁止すべきであると思います。
天皇はこの奏言を可として許された」
7/7太白(金星)が昼間に見えた。
7/19詔。
「朕は凡庸で愚かなまま皇位を受け継いたので自分に厳しく自ら勉めてきた。
けれども誠意がまだ天に届いていない。この為、今年の夏は雨が降らず、稲の苗は実らなかった。そこで、全国の国司に命じて、人民に勧め割り当てて晩稲、蕎麦、大麦、小麦を植えさせ、その収穫を蓄え納めて凶年に備えよ。」
7/28太白(金星)が歳星(木星)に異常接近した。
↑何やっとんの?
この2つの惑星の関係は何?
喧嘩してんの?
5月からこの日まで雨が降らなかった。
8/14詔。
「今年は雨が少なく稲が実っていないと言う。
よって左右京及び天下の諸国の田租は何れも免除せよ。」
↑判断の早い事!👏
11/19詔。
「朕の誠意が天に通じず謹んで天意を占ってみても良い結果が出ない。
禍はこの大空に下され母に死別する不幸が速やかに訪れ太上天皇は忽ち天下を捨てて長逝された。朕は真心から北極星の位置が変わる事が無いように太上天皇が永く人民を庇い守り、また南山の何時までも変わらないのと同じように長生きされお仕えする事を願っていたのに思いがけなく天下を宰る事を厭われ白雲の中にお入りになってしまわれるとは。
太上天皇の奥深い謀も遂に遠い物となってしまった。
朕は残された宝鏡を抱き見ては痛恨の思いが心を離れず身に付けていた衣冠に謹んでお仕え、生涯消えない憂いが心に永く纏つく。
しかも時間は留まる事無く忽ち太上天皇の崩ぜられた時が来た(一周忌か)大きな愛のご恩に報いようと思っても、最早由無く真実の教えを仰がなければ太上天皇の冥路の助けとなろうか。
其れ故、太上天皇の御為に謹んで華厳経80巻・大集経60巻・涅槃経40巻・大菩薩蔵経20巻・観世音経200巻を写し、潅頂幡8首・道場幡千首・象牙を用いた漆塗りの机36・銅の椀器168・柳箱82を造り12/7より京内及び畿内の諸寺に於いて、僧尼2638人を招き食事を供し斎会を行う事にする。
12/13天皇は詔を出し、浄御原宮で天下を治められた天皇(天武)の為に弥勒像を造らせ、藤原宮に天下を治められた天皇(持統)の為に釈迦像を造った。」
波多真人足嶋に従五位下を、文武天皇夫人の藤原朝臣宮子に従二位を授与。
ここのところの太政官の奏言に注目していたが、長官が長屋王だったとわかり、長屋王について検索。
御名部皇女は天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂の娘の姪娘との間に生まれた。
この「姪娘」に注目。
蘇我倉山田石川麻呂は物部系の人物。
そして、姪娘の姉に遠智娘が居る。
彼女も天智天皇に入内し大田皇女と鸕野讚良皇女、健皇子を儲ける。
が、健皇子を産んだ後、逝去。
姪娘が幼子達を引き取り自分の娘達と共に育てたそうだ。
後に持統天皇となった鸕野讚良皇女は息子の草壁皇子に姪娘の娘(元明天皇)を妃に迎え、もう1人の娘、御名部皇女は高市天皇妃とした。
ウィキにもあったが、この時代の為政者達を育てた大貢献者の姪娘の墓所等は不明。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AA%E5%A8%98
こんな素晴らしい姪娘を産み育てた人の事も知りたい、と思った。
16時から夕食作り。

具材はソーセージ、海老、帆立、ブロッコリー、じゃが芋、人参、カブ、バゲットを用意。
バゲットはパン屋さんでゲット。
北海道産ハルユタカを使用しているそうだ。
あと、トマトスープも用意。
下の孫はまだ歯が生え揃っていないのでご飯にスープを浸して食べていた。

お皿は嫁が洗ってくれた。
ありがたく1週間ぶりの孫といちゃいちゃ。
帰る寸前に昨日焼いたバスク風チーズケーキもカットして皆で食べた。
大好評だった。
クックパッドで見つけたレシピ。
ミキサーで材料を混ぜて焼くだけなので簡単。
昨日の牛乳で作ったチーズケーキよりも固まっている感があった。
定番レシピにさせて貰う事に。
コンビニに用事があったので長男一家の近くまで一緒に行った。
20時半に帰宅。
読書と調べ物をしてから寝ることに。
歩数計は6150。
充実した一日だった。