arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1243日目と畑と「続日本紀 上」⑥

2025/2/6木曜日

6時半に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、次男のおにぎり、昼食のけんちん汁作り。

ホットサンドも作った。

洗濯とベランダガーデニングの水遣りを済ませたらお雛様の飾り付け。

やる事やったら10時に畑へ。

 

気温は低いけれど天気も良く風も無く絶好の畑日和だった。

草を抜いたり、持参した納豆菌培養液と米の研ぎ汁を振り掛けたり。

寒波の前に栄養補給出来た。

11時20分まで作業。

 

帰宅後、食事の用意。

夫にはホットサンド。

オーブントースターで再加熱。

自分は納豆ご飯。

けんちん汁と一緒に美味しく頂いた。

午後は読書。

 

昨日に引き続き宇治谷孟著「続日本紀 上」

 

霊亀元年715年

9/2 位を元明天皇から禅られ元正天皇大極殿で即位。
10/7詔。

国家が栄え良く治まる為には人民を富ませる事が大切である。

人民を富ませる根本は財産を増やす事に専念させる事である。

其れ故、男は農耕に務め女は機織を修め家は衣食が豊かになり人民に恥を知る心が生ずれば刑罰を必要としない変化が起こり太平の風習を招く事が出来る。

だからそのように我が官民は努力しないでよかろうか。
今、諸国の人民は生業の技術を極めておらず、ただ湿地で稲を作ることにのみ精を出し、陸田(はたけ)の有利な事を知らない。

だから大水や日照りに遭えば貯えの穀物も無く秋の取り入れが出来ないと多く飢饉に見舞われる。

これはただ人民の怠けによるだけでなく国司が教え導かない事に因る。

為すべき事は人民に命じて麦と稲とを共に植えさせ、成年男子1人毎に2段の割合となるように図れ。

凡そ粟というものは永く貯蔵しても腐らず、色々の穀物の中で最も優れた物である。

このことを広く天下に告げ、力を尽くして耕作させ適期を失しないようにさせよ。

その他の雑穀については人々の力に応じて割り当てよ。

もし人民の中で稲の代わりに粟を租税として出す者があったらこれを許せ。
元正天皇優秀やな。
12/1日蝕
12/11常陸国久慈郡の人、占部御蔭女が三つ子の男子を産んだので食糧と乳母1人を与えた。


霊亀2年716年
正月4日地震
正月5日従三位の長屋親王正三位を授与。
2/2摂津国に命じて大隅・姫島の二つの牧を廃止させ人民が水田を作り食糧を増やす事を許した。
2/10出雲国造の出雲臣果安が斎をすまして神賀事(治世を祝福する寿詞)を奏上。
4/13霰が降った。
4/20詔。
凡そ調を運ぶ人夫が京に入った日には所司(大蔵省・民部省・主計寮など)の役人は調を自らよく見て調べ、もし国司が努力して人民に仕事を割り当て勧めて、その為上等の規格に達していれば、人民を良く育て慈しんで、管内を正しく取り締まっている、という最の評価を与えよ。

教え諭す事をせず、調が不足するようであれば、民を慈しみ育てる道に外れ、管内が荒れ果てているという罪科をつけよ。

その功科に応じて罰し、或いは褒める事とする。
また、近年の計帳に具に記されたところでは、功があるようであり、物の数量から推定すると、人民が身を養うのにゆとりがある筈である。

ところが、入京の人夫の衣服は疲れ破れて、顔色は青菜のような物が多い。

にも拘らず公の帳簿には、徒にうそ偽りを書き、良いように見せかけて、それに対する評定を得ようとしている。

国司・郡司がこのようであれば、朕は何を委ねる事が出来ようか。

今後は宜しく人民の苦しみを憐れみ、委ねられた事にそうようにせよ。

それで管内の豊凶や農桑の増益の状態を記録して言上せよ。
5/16 駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7カ国にいる高麗人1795人を武蔵国に移住させ高麗郡を置いた。
4/7 久勢女王を斎宮として伊勢大神宮へ。
4/17畿内で雨乞。
4月以来雨が降らないまま今月(6月)に至った。
10/21従四位下の藤原朝臣房前を朝政の審議に参加すること、とした。
11/1日蝕
11/17詔。

朕は今年9月美濃国行宮に赴き数日間逗留。

美泉を見、手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになるようであった。

また痛いところを洗うと、痛みが全く除かれてしまった。

私の体にとって大きな効き目があった。

また聞くところによるとこれを飲んだり浴びたりする者は白髪が黒くなったり禿髪に新たに生えたり、或いは見えない眼が見えるようになったという。

その他永らくの病気も全て治ったという。誠に考えてみると美泉は大端(最大のめでたいしるし)である。

霊亀3年を改めて養老元年とし天下の老人で年80以上の官人に位を一階加えよう。
養老2年718年
2/7美濃国醴泉に行幸
3/10正三位の長屋親王を共に大納言に従四位上大伴旅人中納言に任命。
5/1日蝕
11/12彗星が月に接近した。


養老3年719年
正月1日朝賀の儀式は大風により行わず。
正月13日藤原朝臣武智麻呂に正四位下を、藤原朝臣房前に従四位上を、藤原朝臣馬養に正五位上を授与。
3/26地震
4/9 秦朝元に忌寸の姓を賜った。
5/1日蝕
6/16制を出して「穀(籾)というものは年を経ても腐らない。今後は正税及びその他の稲は必ず籾として納めよ」とした。

9/22詔。

六道の諸国が旱害に遭い飢饉になったので義倉を開いて穀物を恵み与えた。

今日はここまで。

元正天皇も人民に優しいな。

718年に彗星が観測されていた事に驚いた。

76年周期のハレー彗星かと思い計算したがちと違った。

今日はここまで。

 

18時から夕食作り。

豚シュウマイと鶏シュウマイ、ローストナッツとチーズのおつまみ、サラダ、小松菜のナムル、玄米ご飯、けんちん汁、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は6157。

充実した一日だった。