2025/2/2日曜日
6時に覚醒。
布団の中で最新情報をチェック。
その後、読書と調べ物。
大宝3年703年
正月2日藤原房前を東海道に、多治比真人三宅麻呂を東山道に、高向朝臣大足を北陸道に、波多真人余射を山陰道に、穂積朝臣老を山陽道に、小野朝臣馬養を南海道に、大伴宿禰大沼田を西海道に遣わし国司の治績を巡視。冤罪を申告させ不正を正させた。
3/17信濃・上野国に疫病が流行。薬を給して治療させた。
閏4/1右大臣阿部朝臣御主人が薨去。
5/3, 漂着した新羅人を新羅に帰る使節金福護に付けて本国に返した。
5/16相模国に疫病発生。薬を給して治療させた。
7/5詔戸籍は庚午年籍を基本とすること。災害や異変がしきりに起こり穀物が不作の為、京畿と太宰府管内諸国の調を半減。全国の庸を免除。
7/17 近江国の山で山火事。
8/2 百済王良虞(百済義慈王曽孫)を伊予守に任命。
9/22 波多広足を遣新羅大使に任命。
10/16僧隆観を還俗させる。元の姓は金。名は財。沙門幸甚の子。
12/17 持統飛鳥の岡で火葬。
慶雲元年704年
正月7日長屋王に正四位上、秦忌寸百足に従5位下を授与。
正月11日大納言従二位藤原朝臣不比等に800戸増封。
3/29信濃国に疫病発生。薬を支給。
4/19讃岐国に飢饉。物資を恵み与えた。
4/29備中・備後・安芸・阿波の稲の苗が損害を受けたので物資を恵み与えた。
5/16武蔵国が飢饉のため物を恵み与えた。
8/5伊勢・伊賀に蝗の被害。
8/28周防国で大風。秋の収穫に被害。
10/5詔を下し「大雨や日照りが時季外れにあって穀物の作柄が悪いので課役と田租を免除する」とされた。
10/9幡文通を遣新羅大使に任命。
12/20太宰府からこの秋は大風により稲の被害があったと報告。更に、夏には伊豆・伊賀に疫病が流行。医師・薬を与えて治療させた。
慶雲2年705年
4/3詔「朕は徳の薄い身でありながら王公の上に位している。天を感動させる程の徳も無く、人民に行き渡らせる程の仁政も出来ない。そのためか陰陽の調和が崩れ降雨と日照が適当でなく、穀物の作柄が悪く人民は飢えに苦しんでいる。これを思うと心が痛む。五大寺に金光明経を読ませ人民の苦しみを救わせたい。天下の国々に今年の出挙の利息を免除。庸の半分を減らすように。」
↑日本にはこんな謙虚で優しい心を持った為政者も居たんよ。
文武天皇は683年生まれ。
この時22歳。
この2年後の704年に24歳の若さで夭折する。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
6/27太政官より、日照りが続き田や園地の作物は葉が日焼けしている。雨乞をしても恵みの雨が降らない。僧達に雨乞の要請と市の店を出す事を止め慎みたい、と奏上され許可される。
↑太政官も良い人やないかー。
7/29大倭国に大風が吹き民家が倒壊。
8/11日照りが10日以上続き人々は飢えに苦しんでいる。天下に大赦を行い諸国の調半分を免除する。
12/20葛野王卒去。
12/27藤原武智麻呂、房前、波多広麻呂らに従5位下を授与。同日新羅の使・金儒吉が入京。この年、20の国々で飢饉や疫病が発生。それぞれに医師や薬を送り物を恵み助けた。
↑災害等で被害に遭ったら免税の措置があり、支援が恵み与えられいる。
人民に取っては素晴らしい為政者。
が、人民から搾取する事しか考えない権力者に取っては甚だ困る存在だったか。
今日はここまで。
8時半に起床。
雨なので洗濯と水遣りはお休み。
今日は台所で料理をしまくる事に。
まずはおやつのクッキー作り。

同じくおやつ用のさつまいもと昼用の鮭も焼いた。
自分へのご褒美を用意したら、中華麹の材料をヨーグルトメーカーにセット。
そして、昼・夜兼用の目玉焼きと中華スープ作り。
その間に豆まき用の落花生と大豆を炒り、炒り豆作り。

あっという間に12時に。
昨夜以来の食事を済ませたらクッキーと紅茶で暫し休憩。
13時半からは夕食用のビビンバのタレ作りと野菜を切る作業。
14時半から入浴。
よーく温まったら、15時半からビビンバ用の肉と野菜を炒める作業。
7人分だから大鍋で。
16時に長男一家が到来。
孫達と鬼のお面作りをした。
完成したら豆まき。
夫と長男が交代で鬼のお面を被って鬼役。
上の孫は優しく豆を撒いていた。
下の孫はきょとんとして良くわからない様子だったので自分が抱っこしながら撒いてみせた。
楽しい豆撒きが終了したあとは皆で豆を食べる会。
上の孫と嫁は炒り大豆をむしゃむしゃ。
他のメンバーは炒り落花生をカリッカリ。
この、落花生は秋に畑から収穫したもの。
不作だったが、孫はまだ小さいので全然数は足りた(笑)
そして、初めて食べた炒り落花生の香ばしくて美味しいこと!!!
30分間フライパンで炒めたかいがあった。
大好評だった。
17時も過ぎたので、ビビンバの最後の仕上げ。
再び炒め、スープを点火。
夫と長男は話に夢中なので、まずは、嫁とお孫ちゃん達と長女が食べ始めた。
自分はお腹が空いていないので給仕したり下の孫に食べさせたり。
程なく夫と長男も参戦。
すると、あっという間にタレが無くなり、ご飯が無くなった。
まずは次のご飯を炊き、タレも追加で製作。
ここで目玉焼きを出すのを忘れていた事に気付き配膳。
食事中に寝込み、夕寝から目覚めた上の孫がビビンバに目玉焼きを載せ再び食べ始めた。
皆が食べ終わった18時に自分もビビンバ丼。
辛うじて外出中の次男の分を確保。
18時半からは長女が提供のチーズケーキ。
皆で美味しく食べた。

心ゆくまで節分イベントを楽しんだあと19時に帰って行った。
お皿は嫁が洗ってくれた。
ありがたく読書を楽しむ事に。
歩数計は5846。
充実した一日だった。