2025/1/30木曜日
5時半に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、次男のおにぎり、夫の昼食作り。
ついでにおやつのブラウニー作り。

その間に洗濯とベランダガーデニングの水遣り。
10時に買い物へ。
帰りに図書館から本も借りた。
帰宅後、読書と調べ物。
昨日に引き続きジョナサン・ブラック著松田和也訳「秘密結社版 世界の歴史」
最後に耳に囁かれるのは「究極の秘密とは、秘密など何も無いということである」
このようにして志願者は虚無的・無政府主義的な哲学に誘われる。
それは志願者の最悪の本能に訴える。
ヴァイスハウプトは嬉々として文明の倒壊、破壊を語る。
それは人々を解放する為でなく自らの意志を他者に課す喜びの為である。
ヴァイスハウプトの文書には彼の冷笑主義の程が窺える。
「、、、我々の力の多くの部分は隠匿にある。その為に我々は他の結社の名を用いる。フリーメイソンリーのロッジは我らの崇高なる目的の為の隠れ蓑として最適である」
↑隠れ蓑として使ったおかげでフリーメイソン悪者になったやないかー!!
これらの文書の発見後、結社は弾圧された。
が、遅すぎた。
1789年、フランスには300程のロッジが存在。
パリだけで65。
今日のフランスのフリーメイソンによれば、フランスには7万人以上のメイソン。彼らの本来の計画は人々に変革への希望と意志を吹き込む事。
が、ロッジ内部への侵入は既に「1789年に憲法制定会議が実行に移したプログラムは1776年にドイツの啓明結社が計画したものであった」と言われる程に進んでいた。
ダントン、デムーラン、ミラボー、マラー、ロベスピエール、ギヨタンらフランス革命の指導者達は既に「啓明」を受けていた。
国王が更なる改革に難渋している間にデムーランは武装決起を呼びかけた。
1789年6月、ルイ16世は憲法制定会議の解散を図り軍をヴェルサイユに集めた。
その後、軍から大量に脱走者が出て7月14日には怒れる民衆ごバスチーユを襲撃。
ルイ16.世は1793年1月に断頭台へ。
彼はその直前「フランス人民諸君、私は無実である。私は私に死をもたらす者達を許そう。私は神に祈る。ここで流される血がフランスの上に、諸君らの上に注がれる事のないように、我が不運なる人民諸君、、、、」
これが地球上で最も文明化した国の中心で起こったという事実が想像も出来ない出来事への扉を開いた。
↑ルイ16世てボンクラなイメージだったけど、愛国心のある王様だったのな。
この騒ぎの中1人の男が断頭台に飛び乗り喚いた。
「ジャック・ド・モレー、お前の復讐は成し遂げられたぞ!」
↑確かフランス美男王の命令でテンプル騎士団一斉摘発からの火刑。
ウィキによると、ジャック・ド・モレーは「亡くなる前にフランス王フィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世らを呪ったとされる」
1314年な。
フランス革命は1789年だから475年後に恨みを果たした、と。
これに続く無政府状態の中でフランスは内外から敵の脅威に曝された。
フリーメイソンのロッジの指導者達が主導権を握り、結社員の多くが反革命主義者と見做され、恐怖政治がスタート。
その立役者は、フリーメイソンのマクシミリヤン・ロベスピエール。
一日100名を断頭台に送り合計2750人を処刑。
うち貴族は650名で残りは一般労働者。
更にダントンも処刑。
サトゥルヌスは我が子を喰らう。
1794年7月8日、ロベスピエールらはルーヴルの前で奇妙な儀式。
啓明結社派のジャン=ジャック・ダヴィドが考案した演出。
壇上の彫像に掛かったヴェールに火を点け炎の中から女神ソフィアが現れた。
このあと、ロベスピエールは、女預言者カトリーヌ・テオから、自らを神であると宣言しようとしたと告発される。
彼による情け容赦ない流血沙汰への嫌悪は最高潮に達し群衆が市庁舎を取り囲んだ。追い詰められた彼は銃で自殺を図るも顎の半分を吹き飛ばしたに留まった。
断頭台に向かう際、演説しようとするも声は出なかった。
↑フランス革命も秘密結社目線で学ぶと何が起きていたのかわかりやすい。
民衆を煽る為にルイ16世や王妃マリー・アントワネットのフェイクニュースも多々流されたと推測。
更に、馬車での逃亡劇も策謀の一つやな。
1868年の日本で起きた幕末の戊辰戦争での将軍徳川慶喜の大阪城からの逃亡劇も似ている。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
17時から夕食作り。

鰤と鯵の刺身、ローストビーフ、玄米ご飯、鰯のつみれ味噌汁、生ハムサラダ、カマンベールチーズonクラッカー、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物をする事に。
歩数計は7721。
充実した一日だった。