arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1230日目と「パラケルススの世界」再読⑧

2025/1/24金曜日

5時に起床し長女の朝食とお弁当のあかず、次男のおにぎり、昼のスープ作り。

洗濯とベランダガーデニングの水やりを済ませたら麻炭クッキー作り。

中まで焼けているか長女に試食してもらった。

やることやったら読書と調べ物。

 

昨日に引き続き種村季弘著「パラケルススの世界」

 

1537年、ウィーンを発ったパラケルススはゼムリング山峡からユーデンブルクへと南下。

フリーザッハ、バード・アインエードを経過して第二の故郷ケルンテン大公国のフィラッハに到着。

1538年5月12日、フィラッハ市はテオフラスト・フォン・ホーエンハイムに宛てて1534年9月8日の父ウィルヘルム・フォン・ホーエンハイムの死去についての公式文書を交付した。

テオフラストは全遺産を継承した。

フィラッハのメインストリートに今も残存しているパラケルスス邸(現在ケルンテン銀行フィラッハ支店)で晩年の2年間を過ごした。
が、生来の放浪癖は衰えず、聖ファイトやクラーゲンフルトに診療や研究のため再三赴き、滞在中に幾つかの著述を脱稿。
ミュンヘンからエファーディングを経てクローマウに終わる旅からは「大天文学、或いはフィロソフィア・サガックス」の第一部が成立。

この四部から成り第三部が現在欠本となっている晩年の大作が完全な形で脱稿されたのもフィラッハ時代の聖ファイト滞在中。
パラケルススの聖ファイト訪問は1538年夏。

この年の執筆量は驚嘆に値する精力的なもの。

8/24には「酒石症論後篇」「七事弁明論」「ケルンテン年代記」の三書に「医師の迷路」を併せて、ケルンテン大公国の大司教並びに貴顕各位に献呈。
「大天文学、あるいは大宇宙と小宇宙のフィロソフィア・サガックス」は字義通りには「知の哲学」だがルネッサンス後期に於ける sagax は静止的な知識であるよりは動的な「明察」若しくは「鋭い洞察」に近い意味で用いられた。

即ち、外部に表れた形態や表微から隠された内部の本質を鋭敏に透視する表微術の意である。

パラケルススから一世紀後にスペインで活躍したマニエリスム的哲学者グラシアンも「明察と詭計の法」(1642年)を書きアフィリズム集「手の神託」(手相見)を書いた。外部と内部、大宇宙と小宇宙の対応関係を明察という人間精神の働きを通じて解明しようとする傾向はこの時代に通有のものだった。
別題の「大天文学」は必ずしも天体構造の客観的な諸法則の観察記述を意味しない。天文の彼方には神が、こちら側には自然が極として想定され双極の間に包括される万象(=宇宙)についての学が天文学と呼ばれている。

従って部分的には神学。

全体としては精神の博物誌。

ある部分はそれ以上に魔術的隠秘学的色彩の濃厚な博物誌。

何よりも不動不滅の神という軸を巡って変幻する自然の輪の運動を人間の肉体とう小宇宙に投影して見た医学言論。

この知の信仰告白の書を書くに当たって彼は奇妙な道を選んだ。

神へまっしぐらに向かう代わりに、背を向けて外道の道を歩んだ。
彼はまず魔術師として現れる。

即ち「聖者と魔術師との間の違う点は聖者が神から働き掛け、魔術師は自然から働きかける事である。」 
とは、つまり、神からの直接の働きかけを媒介する聖者の存在はパラケルスス(のみならずこの時代の鋭敏な憂鬱家)にとっては最早不可能。
メランコリアⅠ」のアルブレヒト・デューラーにおけるように、神の直接の光たる聖霊の光は既に隠されているか、或いは常に燦々と降り注いでいるにもせよ、最早地上の人間には見えなくなっている。何故なら聖霊の光も自然の光も今日では消されて「眼に見えないような仕方で」もたらされている。

「恐らく聖霊のうちにはこの地上でも彼岸でも赦されないような罪が存在する」

つまり、神と地上存在との間の媒介者たる聖霊(直接にはローマ教会が当て擦られている)に注ぎ切れない罪が潜入した為に光は隠れ、消された。

仮に光が現れ、聖言が囁かれたとしても誰もその存在に気が付く事さえ出来ない。

↑聖者とか聖霊とかキリスト教会関係者てことか。

ちなみに、パラケルススカトリックと言われている。

「鋭敏な憂鬱家」で思い出した。

これより前のページにそれについて書かれている↓

大事なのに読み落としていた部分発見。
p.259
人間の肉体の中に天体の構図そっくり模した星星が動いている。

金星は生殖器と対応。感情的に「奢侈」を支配。

梅毒文書に於ける梅毒流行と金星の異常現象。

相似た天体の肉体への影響は土星や火星からも常に放射される。
例えばこの時代フィツィーノを筆頭にパラケルスス自身やデューラーをも含むルネッサンスの天才達は例外無く土星の星位の下に生まれ憂鬱症を病んでいた。

天才とは憂鬱症の病者の別称。

↑憂鬱症とは天才の別称だったのな。

ここを読んでから、天体の肉体への影響とか土星や火星から常に放射されるとかの記載が気になったので色々と調べてみる事に。

 

12時に昨夜以来の食事。

夫にはホットサンドメーカー(直火)でホットサンドを調理。

喜んで食べていた。

 

午後も読書と調べ物。

17時から夕食作り。

ししゃも、チャーシュー、チャーハン、スーフ、サラダ、朝の残り、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をすることに。

 

歩数計は3750。

充実した一日だった。