2024/12/31火曜日
5時に覚醒し最新情報のチェックと調べ物。
7時に起床し朝の家事。
同時進行でお節の煮物作り。
10時半に一度休憩。
11時半から食事の用意。
夫は残り物のラザニアとコンソメスープとサラダを食べた。
自分は納豆と残り物の味噌汁とけんちん汁。
午後は、まずは読書。
昨日に引き続き、大橋博司著「パラケルススの生涯と思想」
1526年、パラケルススはシュトラスブルクへ。
ここは人文主義的研究の中心地の一つ。
印刷術もドイツで最も優れていた。
パラケルススはザルツブルクで書き上げた「ヴォルーメン・パラミールム」の出版者を探していた。
そして、12/5には市民権を購入。
同時にルッツェルネ組合の会員に。
このギルドには穀物商人、製粉工場主、などと共に外科医も加入が認められていた。内科医は入っていない。
内科医に比べ外科医の地位は低かった。が、シュトラスブルク市だけは全ドイツに於いても例外で外科医の地位が内科医に劣らぬものだった。
シュトラスブルクでヒエロニムス・ブルンスヴィックとハンス・ゲルストルフは有名な外科医として外科学の学校を開き、その技術の向上を目指していた。
パラケルススもそこで教える事を期待されていた筈だ。
が、ドイツ語で理髪師や外科医に講義し、公開で人体解剖もしていた医師、ヴェンデリヌス・ホック博士がパラケルススに対し公開討論を挑んだ。
パラケルススは解剖学は苦手で解剖の経験も殆ど無い。
この公開討論で彼は挫折を味わった。
が、シュトラスブルクから70マイル隔てたスイスのバーゼル市で転機が。
人文主義者達の保護者であり出版業者でもあったヨハネス・フロベニウス(フローベン)が下肢に悪性の疼痛性疾患を来たして病床にあった。
医師達は下肢の切断を提案。
パラケルススはこの実力者の下肢を切断する事なく美事に治療せしめると共に彼の信頼を得た。
更にフロベニウスと親交を結んでいたエラスムス・フォン・ロッテルダムとも知己に。
エラスムスはその膨大な数の著作にも拘わらず絶えず身体的な疾患に悩まされていた。
パラケルススがエラスムスに宛てた手紙によると、次のように診断。
「、、、肝臓には薬は不要で、他の二つの病にも下剤を必要としません。私の医薬はある特殊の強力な物質から甘味を取り除いて作った貴重な秘薬(アルカヌム)です。疾患は肝臓に座を占めております。そして、腎臓の脂肪に対して私は非常に良い薬を知っております。思うに、貴方の身体はコロキントの下剤や薬局で作られる少量の薬にも耐えられますまい。しかし、私の経験からして、貴方が長寿と健康を得られます事を確信いたします。第三の病気はある種の物質で潰瘍性の腐敗か粘液、恐らくは尿の沈殿か脈管の結石か、粘性の液体であります。それは溶解した脂肪で塩分の作用で小さな石に凝固したようでございます。貴方の場合、この結石が既に生じているかどうかは確認しませんでしたが、有害な大理石様の鉱物が貴方の腎臓に沈着していると愚考します。それはタルタルスであります、、、」
エラスムスからの返信
「、、、貴方が私を一度しか御覧にならなかったのに私の事を奥底まで熟知なさったことに驚嘆するものでございます。貴方の謎のようなお言葉が深い真理であることは、私がまだ学んだことの無い医学からでなく私の単純な感情から認める事が可能でございます。肝臓の辺りはもうずっと以前から痛みを感じておりましたがその源が何であるか推測することも出来ませんでした。腎臓の障害は既に数年前から尿の所見で存じておりました。第三の点(タルタルス)に関しては全く私の理解の届く所ではありません。しかし必ずやそれが苦痛の原因になっているものと信じます、、、」
ここで「タルタルス」について。
古いワインの樽の底には酒石がたまる。
歯の裏側にも歯石が沈着する。
パラケルススはこのような日常の観察から出発。
尿の中に排出される結石、膀胱や胆嚢の結石も同じ。
彼によるとこの物質は「酸」の沈殿。
♪酸、酸、酸、太陽がサンサン🎶
悪魔くんがわいの飲み物や食べ物に仕込む毒は酸っぱい。
同じやないかー。
同じ結晶が間接に沈殿する時「痛風」が生じる。
この物質は「地獄のようにも燃える。そしてタルタルス(冥府)は地獄だ。」
今、めっちゃ階下から熱い攻撃を受け「燃やされている、わい」
体が熱い。
クソ悪魔が酸、仕込んだな。
何せ24時間盗撮されてる、ていうか、その辺に居るから一緒に読書してる(笑)
パラケルススはこの沈殿をタルタルスと呼び現代医学でのリュウマチズム、関節炎、痛風、種々の結石、神経痛などを「タルタルス病」と名付けた。
こんにち、我々の知っている代謝疾患への道を開いてくれたのはパラケルスス♥️
彼のいう「タルタルス病」の多くは痛風の原因である尿酸代謝の障害。
所謂、「尿酸体質」から生ずるとして良いだろう。
ほしたら、抗酸化物質を摂取すれば良いのでは?
テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムがバーゼルに姿を現した1526年、同市はプロテスタント側が市の勢力を占めていた。
プロテスタント派はカトリック派を市会からも大学からも追放しようとする運動を始めていた。
その一例として医学部教授ヨハン・ヴィンデッカー博士は宗教改革に反対の態度を取った廉で市側から給与を停止されていた。
実力者エコランパディウス(スイスの宗教改革者)の取った処置は賢明。
思想的に農民戦争の敗北者達の理解者だったパラケルススは純粋なカトリック信者であった。
ヴィンデッカー教授の後任として彼を指名すれば両宗派の反対は無かろう、とエコランパディウスは判断。
ところが、大学側に妥協的な態度は無かった。
パラケルススの大学就任に対抗する為に教授連は大学の慣習に従って「公開討論」を主張。
相手に選ばれたのはパラケルススがシュトラスブルクでの公開討論で辛酸を嘗めさせられたヴェンデリヌス・ホック博士。
パラケルススは公開討論会に出席しなかった。
その代わりパラケルススは33歳の若さで市医兼大学教授に。
就任にあたり、大学側はパラケルススへ卒業証書の提出を要求。
これに対しパラケルススは大学当局の古い体質を批判。
挑戦状を叩き付けた。
大学との確執が続く中、パラケルススの唯一の理解者であるフロベニウスが卒中発作で急死。
ここから、嫌がらせはエスカレート。
まず、貼り紙でパラケルススの名誉を棄損。
そして、彼に罠を用意した。
カトリック教会の顕官(教会評議員)であるコルネリウス・フォン・リヒテンフェルスなる人物が激しい胃痛に悩まされていた。彼はこの病を癒してくれる医師に100グルデンを支払うと約束したがこの高報酬にもか拘わらず応ずる医師は居なかった。←典型的な罠。パラケルススしか応じる人が居ないように他の医師を牽制済みか。集団ストーカー犯罪あるあるですわ。
招聘された(罠に引っ掛かった)パラケルススは3日で秘薬の数錠を用いただけでこの患者の病を癒した。←めっちゃ優秀で頼りがいのある医師やん。しかし、この時代から既に即効性のある特効薬は疎んじられていたのか?
病気が治ると、この聖職にあるコルネリウス・フォン・リヒテンフェルスは6グルテンを支払っただけで、このような簡単な治療にはこれで十分だ、と主張。
このカトリック教会評議員は100グルテンを支払うと嘘を付いた事実が残った。
パラケルススは約束の報酬支払いを迫り訴訟を起こすも判決はパラケルススの要求が不当のものとされ却下された。
ここで、司法もおかしいと気付けば相手にするのは止めただろうにパラケルススは法廷を侮辱し続けた為に市会は彼を勾留すると警告。
漸くパラケルススは気付きバーゼルから逃亡する。
今日はここまで。
有能で優秀な医師であったパラケルススは既得権益にまみれた者達にとって都合が悪かったのな。
パラケルススのおかげで色々とわかって良かった。
パラケルスス本はあと数冊借りてあるので三が日は読書三昧する事に。
17時からお節の重箱詰めと大晦日のご馳走作り。

筍は高かったので細竹に変更。
後は大体去年と同じ。
栗きんとんとイクラは入らなかったので別皿になった。

本マグロとメバチ中トロの刺身、蕎麦、海老と椎茸とカボチャと鰹節出しがらの天ぷら、ウォッカ梅酒ロック。
蕎麦に本ワサビが付いていて夫がすりおろしてくれた。
本ワサビのおかげでマグロの美味しさがアップした。
鰹節の出しがらはかき揚げのようにカリッカリに揚げたら、良いおつまみになった。
久々に夫婦2人っきりでの大晦日。
夫は競争相手が居ないせいか食欲がダウンしていた。
後片付けを済ませたら今年の営業は終了。
読書と調べ物をしてから寝ることに。
歩数計は5388。
充実した一日だった。