2024/12/6金曜日
5時に起床し納豆の仕込と昼食の下拵え、次男のおにぎり作り。
6:45に畑へ。
今年初の霜が降りていた。

流石に今日はアオムシはゼロ匹だった。
持参した米の研ぎ汁を青菜に掛けたら帰路に。
7時15分に帰宅後、シャワーと洗濯。
洗濯物を干すついでにベランダガーデニングの水遣り。
8時半にお孫ちゃん達とお出かけ。
久しぶりに岩槻の子育て支援センターへ。
11時まで遊んだ。
11時半に帰宅後、米麹作り。
お米を蒸している間に、前回の分を出麹。

更に夫の昼食のラーメン作り。
昨夜以来の食事を済ませたあと、米が蒸し上がった。

品温が下がってから種麹をまぶし、発酵機へ。
我が家の味噌作りには米麹が3.2kg必要。
一度に650g前後しか作れないので5回はこの作業を繰り返す。
その前に味醂も仕込んでいる。
こちらは米麹1.2kg。
先月末から延々と米麹作り。
ま、これをクリアしたら、次は春先の醤油仕込用の豆麹作りまで大量の麹作りはプチ休暇。
あと、2回頑張る事に。
午後は読書と調べ物。
日本が弥生時代にインドと交易を行っていた証拠にインド・パシフィックビーズの出土がある。
特に赤褐色のものはムティサラ(mutisalah)と呼ばれ区別されている。
南インドの東海岸に位置するArikamedu遺跡でインド・パシフィックビーズの生産は始まった。

弥生後期から終末期に赤褐色のガラスのビーズが出土した遺跡は北九州を中心に400個以上。
弥生時代にインドから西南太平洋を通り抜けて日本に至る海上交通路は存在していた。

第三章弥生時代の開始年代ー鉄の観点からー
弥生時代とは金属使用、水田耕作、機織りの開始という3つの文明が日本に齎された時代。
従来はBC5-BC4世紀とされていたが炭素14年代測定法を用いた結果BC10世紀であるという新説が公表された。
その論拠は鉄が中国からの輸入品である事に基づいている。
中国の鉄の製造は約3000年前の西周代(BC1100-BC770年)後期と推定。
普及はBC500年頃。
しかし、日本最古の鉄斧は福岡県曲り田遺跡から弥生時代早期の夜臼式土器と共に出土。
BC10世紀に日本に鉄があった事になり、史実と矛盾。
しかし、この鉄斧がインドからの輸入品と考えるとどうか。
インドでは鉄はBC1100年頃には製造されていた。
鉄は腐食しやすく遺物として残りにくい。が、農具や杭などの木製品に残された加工痕からもその存在を認める。

佐賀県菜畑遺跡の弥生時代初期の杭12本に鉄製品の刃線の刃こぼれと思しき物が凸線状に1条乃至数条残存。
また、鉄製品の刃先が木製品の加工痕の中に鋭く入り込んだ例が47箇所発見された。

ハカ(墓)という単語がドラヴィダ語と対応。
弥生時代の考古学的遺物の写真集をタミル語の先生であるスリランカのJaffna大学のSanmugadas教授夫妻に見せると、その中の甕棺を見て「これと全く同じ形の土器がJaffna付近で発掘されたことがある」と述べた。

橿原考古学研究所長樋口隆康氏と熊本大学考古学科白木原和美氏らは南インドを訪れた。
すると、マドラス一帯で弥生時代の甕棺とそっくりなものを見た。
それらは紀元前11世紀ー後3世紀と弥生の甕棺と時代も重なる。→同じ葬法文化を持つ者が日本に移り住んだと考えるのが妥当なのでは?

今日はここまで。
日本の古代史はもう一度洗い直した方がええな。
17時から夕食作り。

ネギ塩豚炒めと炒めモヤシ、鱈と玉ねぎのケチャップ炒め、大根とコーンのサラダ、玄米ご飯、ナメコと豆腐の味噌汁、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
メインのモヤシが大好評だった。
先日フォーを作った際、上に炒めたモヤシを載せたら大好評だった。
なので、今日も作った。
その前に煮込み用に購入した牛スジに脂身が大量に含まれていたので牛脂として切り取り冷凍保存。
炒め物用の脂として重宝している。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物をしてから寝ることに。
歩数計は8496。
充実した一日だった。