2024/12/5木曜日
5時に起床し長女の朝食と次男のおにぎり、夫の昼食作り。
6時40分に出張で荷物が多い長女を駅まで送迎。
帰宅後、米麹の品温をチェック。

発酵機は30度設定。
それでも品温は43℃をヒット。
麹蓋に分け入れたら再び発酵機の中へ。
洗濯を回している間にコーングリッド入りクッキーを製作。

焼いている間、梅干しの黒焼をミルミキサーで粉末に。
中から種を取り出す作業で手は真っ黒に。
辺りに梅の香りが漂った。
洗濯物を干すついでにベランダガーデニング。
ゴーヤの鉢を片付け、あまえんどうの種を蒔いた。
10時半から読書。
冒頭から南インドと日本の民俗行事を比較している。
驚く程に共通点が多い。
その前に、昨日、自分も指摘した九州の外国人勢力について、言及があった。
瓊瓊杵尊が九州に降臨した当時、九州には塩土翁一族と海幸彦一族、山幸彦一族、と3つの部族が勢力争いをしていた。
瓊瓊杵尊は天照大御神からそれらを鎮めるよう命令させ飛騨から赴いた。
この著書で言及された隼人族は海幸彦一族。
確か、神武天皇がまだサヌノミコと呼ばれていた九州時代に妃として迎えたのが隼人族族長の妹。
「続日本紀」元正天皇養老4(720)年によると、ヤマト族と九州南部の隼人族は対立関係。
「大隅・薩摩の隼人らを征討した将軍以下と訳語の人に勲位を授けた」とある。
訳語とは通訳。
つまり、ヤマトコトバと隼人の言語とは通訳を用いなければならないほど違っていた事を示す。

pongalはタミル語ponguと言う動詞から作られた。
意味は「1.熱で沸き立つ、泡立つ、2.
(海が)泡立ち荒れる、3.増加する、4.(喜びで)心がふくらむ、5.噴出する、6.意気が上がる、7.怒りで張り裂ける、8.
富んでいる、栄えている、実りが多い」
タミルナードゥ州では新年のお正月に当たる9月に「ポンガル!ポンガル!」と叫んで回る。
日本でも1月15日に秋田県の北部から津軽及び南部領に掛けて「ホンガホンガ」と練り歩く行事がある。
ホンガホンガて日本語の「ほかほか」やないの?
ちなみに、津軽弁で発音するとしたら「ホガホガ」

〈2〉古い物を集めて焼く(トンド焼き)タミルナードゥ州ではpongal(新年)の前日1/14に古い物を集めて焼く、Bokiという行事がある。←神社で前年の破魔矢等を焼くのに似てね?

〈小屋を焼く〉
スリランカのJaffnaでは古い物の一つとして牛小屋を焼く。
少年達は正月の初めに小屋を作りその中で共同生活をするがその小屋を1/14か1/15に焼く。
茨城県多賀郡では正月に鳥小屋を作り、小屋の真ん中に炉を作り、自在鉤様のものを下げ之に鍋を掛け煮炊きして食べる。
1/2より1/14夜までやり、15日に小屋に火を放ち焼く。
秋田のかまくら行事もこれに似てないか?雪で作るから焼かないけれど。
子供の時、毎年のようにかまくらを作って子供等だけで中で遊んだ。
〈4〉注連縄を張る
[南インド]新年を迎える用意として縄にインドセンダンの葉を吊るし村や家々の入口に張る。
日本でも神社や家々の玄関に注連縄を飾る。
〈5〉門松を立てる
バナナの木又はココナッツの木の枝を門に立てる。
日本でも門前に松を立てる、と平安時代から記録がある。
〈6〉若水を汲む
〈7〉お粥を炊く
南インドではpongalの日に赤米のお粥を炊いたが現代は白米を炊く。
古代は粟を炊いた。
日本でも1/15に小豆粥を炊く。
〈8〉お粥をカラスに供える(カラス勧請)
南インドでは正月に炊いたお粥をカラスにあげる。
カラスが食糧を齎してくれたとする伝承に基づく。
日本でも餅をカラスに投げ与える行事が青森県などで行われていた。
〈9〉神にお供えをする
スリランカのタミル人の慣習ではpongalにmotakamを供える。
これは「1.米粉を球形に固めて煮るか蒸すかした菓子,2.米粉を丸薬の形にした食物,3.粉で作った一種のプリン,4.一種の粉製の菓子」である。
これは日本語のモチ、モチヒに当たる。
鏡餅 日本語motifi(餅)はmotifiの約まった形。
ifiはイヒ(飯)で米を炊いた食品。
平たく円形の鏡のように作った餅を重ねて上に橙などを置いたものを「鏡餅」「お供え餅」などと言う。
〈14〉お仕着せを配る
[南インド]1月16日に使用人に衣類を分与する。
日本でも「藪入」と言って同じ1/16に奉公人に配る行事がある。
〈15〉踊りをする
[南インド]1/16夕方女性が輪になって踊る。
16日午後になると男が一枚皮の太鼓を持ち、日本の日蓮宗の僧達が打って街を行くのと同じリズムで「夜に踊りがある」というお触れをする。
日本でも小正月に女性達が輪になって踊る。
宮廷でも踏歌の節会という行事があった。青森県下北郡東通村尻労でも1/15,16に婦人達が踊る風習がある。
今日はここまで。
単語だけでなく、民俗行事までこれ程共通点があったとは。
あくまで私見だが、インド亜大陸でアーリア人が侵入を開始した頃、アーリア人による支配とドラヴィダ人の奴隷化を嫌った人々がインドから逃れ日本に到来したのでは、と推測。
その時、日本に稲作を齎した為、農業用語にタミル語由来の単語が多いのでは?
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書、からの寝落ち。
15時半まで寝ていた。
16時半に夕食作り。

鶏むね肉の酒粕ヨーグルト漬、真鱈のムニエル、サラダ、つまみ、柿、ウォッカ梅酒ロック。
その横に写っているのは夫が自分の誕生日ケーキ用に焼いたスポンジ。
近日中にデコレーションされる。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら、明日の米麹用の米研き。
そして、営業終了。
読書と調べ物の続きをする事に。
歩数計は5973。
充実した一日だった。