arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1179日目と畑と日本語とタミル語

2024/12/4水曜日

5時に起床し出麹。

良い感じに出来た。

次に、長女の朝食とお弁当のおかず、次男のおにぎり作り。

7時過ぎに畑へ。

まずはニンニクの草取り。

そして、カートで運んだ米の研ぎ汁で栄養補給。

大根を収穫したら家路に。

 

帰宅後、洗濯。

9時半にお孫ちゃん達と公園へ。

11時半にスーパーへ。

一緒に買物してから12時過ぎに帰宅。

そういえば、米麹を作る予定だった。

ここから、鍋をセットし米を蒸す作業。

蒸している間に昨夜以来の食事。

蒸し上がったら種麹をまぶす作業。

パイレン布と晒し布に包んだら発酵機へ投入。

13時半から最新情報のチェックと調べ物、読書を少々。

14時半に再びお孫ちゃん達とお出かけ。

 

見沼区役所へ。

何でも、嫁が母子手帳を受け取るのに40分面談をするそう。

更に、それをやるとお金が貰えるのだそう。

わいの時代にはそんな制度は無かったが。

待っている間、堀崎公園で子守。

嫁は16時に公園に来た。

家まで送って帰宅すると16時半過ぎ。

17時半から夕食作り。

焼き芋、豚の酒粕ヨーグルト漬、蕗と人参の炒め煮、チーズ竹輪、サラダ、煮物。

チーズ竹輪は夫がつまみ食いし激減。

18時半に夫の部屋に夕食の準備が出来たと知らせに行くと既に夢の中。

流石に、午前も午後も孫との遊びに出動し疲れたようだ。

自分は夕食を作りながらウォッカ梅酒ロックを呑んでいたので既に疲労回復。

このあと、夕食後に読書をする事に。

昨日まで熟読していた「ゾロアスター教史」は返却期限が来たので図書館へ返した。

これは既に購入注文済。

発送を待っている状態。

その間、大野晋著「日本語の源流を求めて」を読む事に。

 

この著者は以前から日本語とタミル語の共通点の多さを指摘している。

タミル語はインドのドラヴィダ語系の一つ。

神武天皇は母親が九州の外国人一族の長、塩土翁の娘と言われている。

なので、恐らくバイリンガル

で、大和に来て饒速日命の娘か孫と結婚。

神武天皇饒速日命の弟瓊瓊杵尊の孫だからね。

そして、孝元天皇は反乱を起こした出雲国が推した天皇

孝霊天皇と血縁は無い。

出雲国と言えば、インドのグナ王国のクナト王が数千人を率い北から日本へ到来。

出雲でもドラヴィダ語系の言葉が話されていたと推測。

出雲族孝元天皇の時代から大和に食い込んでいる。

そりゃあ、大和朝廷でもドラヴィダ語系のタミル語は氾濫していたと思われる。

 

Ⅰ 母音を添加する例

タミル語→日本語

kan(銅)→kan-e

kar(辛)→kar-a

Ⅱ 語末子音を脱落させる例

タミル語→日本語

pal(歯)→fa(歯)

kat-an(型)→kat-a(型)

タミル語のcは大抵はsに置き換えて読む。

日本語 意味 タミル語

sir-u  汁 cer-u

suk-i 鋤、梳く cuk-ir

sufu 吸ふ cupp-u

タミル語のcはsと発音される事が多い

sin-a 品 tin-ai

sim-u 凍む tim-ir

sir-u 知る ter-i

tak-a 高 tak-ar

tak-ara 宝 tak-aram

tat-aku  叩く tatt-u

mat-uru 祀る mat-ai

mi  接頭語 神の mi

mir-u 見る mir-l

タミル語の接頭のyは年月のうちに消えた

yas-asi 優し ac-ai

yak-u 焼く ak-ai

yam-u 風など止む am-ar

sak-ebu 叫ぶ ak-avu

ik-u 行く ek-u

ur-u 熟る ur-u  

この著書の中で、著者が初めてタミル語の辞書を家に持ち帰って読んでいる時、深夜まで著者の部屋から「おー!」「これもかー!」と驚く声が聞こえて来たと息子さんが回想していた、とあった。

自分も当にその状態。

確か、以前も大野晋氏の本を借りて読んだ筈だが、その時よりも更に知識が増し増し。

新たな気持ちで読み始めている。

特に、自分は津軽弁とのバイリンガル

津軽弁との関連も無いか目を皿にして読んでいる。

津軽弁てね、意外に古語を使ってるんよ。

て、古文を習った時に思った。

〜べし、とか普通に使うから。

ブログ編集中に揺れた。

そういえば朝、畑の帰り8時頃地震雲を視認。

動画を撮った。

動画はアップ出来なかったのでスクショした画像で。

地震雲に東西から挟まれていた。

 

歩数計は11838。

充実した一日だった。