2024/12/2月曜日
5時に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、次男のおにぎり作り。
7時15分に畑へ。
土曜日に植えた苗に水遣り。
その後、短形牛蒡を1本掘った。

短いが太くて立派なのが採れた。
8時過ぎに帰宅するとテーブルの上におにぎりが残っていた。

次男に聞くと忘れていった、と言う。
梅干しおにぎりは自分が昼に食べてあげることに。
わいの自慢の手作り梅干しや。
今日はその手作り梅干しで梅干しの黒焼を作る事に。
梅干しを15個位並べただろうか。

蒸気が漏れるのを防ぐ為に小麦粘土を作り隙間を塞いだ。
弱火で8時間焼く事に。
洗濯物を干したら読書。
昨日に引き続き、青木健著「ゾロアスター教史」
クル大王家断絶後、アケメネス家出身の親衛隊員ダレイオスがクル大王家の5世の縁戚と称し第3代ペルシア皇帝ダレイオス1世として即位。
すると、即座に地方総督(皇位継承者が就任する事が多い)の大半が軍事行動を起こし同時期に9人もの「自称ペルシア皇帝」が乱立。
ダレイオスの主張は当時のペルシア貴族の誰の目から見ても正統性を欠いていたと推測出来る。
ダレイオス1世は嘗ての主君カンビュセス2世の姉であり妻であったフタオサー王女と結婚。
クル大王家は臣下筋のアケメネス家と結合。
家系図が一緒に。
しかし、クル大王家の人名は純粋なアーリア名ではないのに対しアケメネス家の人名は全て純粋なアーリア名なのでダレイオスの作為は見破られている。
〈ダレイオス1世の宗教〉
ダレイオス1世は聖都ペルセポリスを造営。
この街は周辺に生活設備の遺構を欠く。
年に数度の宗教儀式用に設計されたか。
ここから発掘されたエラム語の帝室経済収支文書によるとダレイオス1世〜クセルクセス1世時代のアケメネス家が供物を捧げた神格はアーリア民族系の神々の他、エラムの神、メソポタミアの神、その他読み方不詳の3神格を含んだ。
マゴス神官団がアケメネス王家の委託を受けてアーリア民族、エラム人、バビロニア人などの多民族の神格に対し犠牲祭を行っていた。
紀元前331年アレクサンドロス大王がペルシアに押し寄せ聖都ペルセポリスは蹂躙され、マゴス神官団の神官達も大虐殺された。
第二章 第一次暗黒時代(前4〜後3世紀)ーヘレニズム時代からアルシャク朝時代まで
第一節 豊穣な暗黒時代
アレクサンドロス大王による侵略でアケメネス朝ペルシアが崩壊した前330年からサーサーン朝ペルシアが興起する後224年までの約550年間、イラン高原の歴史は同時代資料を欠く暗黒時代に突入。
政治は争いが続き不安定ながらも文化的にはギリシアのヘレニズム文化やインドの仏教文化、セム民族系のユダヤ教・キリスト教文化等が入り乱れイラン高原には多様な文化が花開いた。
これを受けて立つアーリア民族の宗教の消息は不明。
この未曾有の混乱にも拘らず、アーリア民族の宗教が東西の宗教にこれ程広汎な影響を及ぼした時代は無い。
東地中海世界からメソポタミア平原にかけてはユダヤ教・キリスト教・グノーシス主義が、イラン高原東部から中央アジアにかけては大乗仏教が、共にイラン高原で形成されたアーリア民族の宗教、特にザラスシュトラの教えの影響を光被。
後世の発展の基礎を作った。アーリア民族の宗教にとって「豊穣な暗黒時代」だった。
この本はゾロアスター教史というタイトルだが、ゾロアスター教の歴史を学ぶにはその背後の政治や文化に関する知識も知らないと、だ。
同じ著者による著書「アーリア人」で学んだ事の復習にもなっている。
それにしても紀元前後にこれだけの出来事が起こっているのか!と驚く。
その頃、日本では神武天皇が東征し大和に入ったか。
今日はここでタイムアップ。
11時から米麹作り。
12時に米が良い感じに蒸し上がった。

種麹をまぶし発酵機に投入したら、昨夜以来の食事。
午後は最新情報のチェックと調べ物。
17時から夕食作り。

焼き芋、鯖と大根おろし、かぶと人参と鶏ひき肉の中華炒め、津軽漬、サラダ、味噌汁、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
梅干しの黒焼は土鍋の蓋を取ってみたらまだ赤い部分が多かったので更に焼く事に。
歩数計は7701。
充実した一日だった。