2024/11/23土曜日
6時に起床。
7時にカートを押して畑へ。
まずは大根の収穫。

次にアオムシチェック。
今日はゼロ匹だった。
そして、秋じゃがいもの土寄せとトンネルの下準備。
支柱を刺して数が足りるか確認した。

そろそろ霜が心配なので近日中にビニールを掛ける事に。
8時半に帰宅後、洗濯。
9時半から最新情報をサーッとチェック後、読書と調べ物。
昨日に引き続き、青木健著「アーリア人」
1インド系アーリア人の歴史と宗教ーヴェーダの宗教からヒンドゥー諸教へ
〈非軍事的な浸透〉
中央アジアからイラン高原東部へ進出したアーリア人は西へ向かったイラン系アーリア人と東へ向かったインド系アーリア人に分かれた。
彼らがインド亜大陸に姿を現したのは紀元前1500年頃と推定されている。
〈ヴェーダの宗教〉
インド系アーリア人が保持していた宗教讃歌、ヴェーダで使用されている言語はゾロアスター教の聖典「アヴェスター」の言語と類似。
内容的にも対照可能な神格が多く見出される。
アーリア人は先住民に対する文化的優位を確立。
彼らの言語を「サンスクリット語」と称し学術用語として驚くべき持続力を示した。更にセム系文字を改変しインド系アーリア人の言語に即したブラーフミー文字を開発した。
2世紀頃から固有の神学体系を持ったヴィシュヌ教、シヴァ教、大乗仏教、ジャイナ教などが隆盛。
祭式儀礼中心のヴェーダの宗教は変容を迫られヴェーダの宗教の司祭者達は冠婚葬祭等の祭式儀礼を司る形で居場所を見つけた。
「独自の神学体系を持つ諸神学」+「アーリア人固有の祭礼儀式・社会規範」
二重構造の宗教体制の成立。
これを理解しない事にはインドを理解出来ない、と。
〈仏陀の出自〉
仏教の創始者の1人、ガウダマ・シッタルーダの出自はアーリア人だったのか先住民だったのか分からない。
彼が語った言葉の中にはヴェーダの宗教内容をよく理解した上での内在的な批判がある。アーリア人の宗教を熟知する環境の中から立ち現れてきた人物か。※ヴェーダはインド系アーリア人が保持していた宗教讃歌でその言語はゾロアスター教の聖典「アヴェスター」の言語と類似し、相違は方言差程度。
〈ゾロアスター教との懸隔〉
「諸神学+祭式儀礼」の集合体はインド亜大陸に住む人々を同化吸収。
先住民のみならず前2世紀以降インド亜大陸に押し寄せたイラン系アーリア人遊牧民、例えばラージャスターン州のラージプート族等も。
同化吸収が進むとどんどんゾロアスター教と乖離。
拝火儀礼という共通点もあるが象の神様、猿の神様といった多神教、ヨーガの瞑想、リンガ崇拝、水葬等異なる点が増えた。
〈ヒンドゥー諸教の成立〉
10世紀に、中央アジアでイスラームに改宗したテュルク系遊牧民がインド亜大陸に進出。
現地人達を十把一絡げに扱った。
この時に「ヒンドゥー諸教」が発生。
この中には仏陀の教え、サーンキヤの教え、ヨーガの教え、などが含まれている。
2 ヨーロッパ系アーリア人たちの歴史と宗教ー第三の「自称アーリア人」
(1)第三のアーリア人
〈ヨーロッパのアーリア人〉
インド・ヨーロッパ語族の中で前2000年紀に中央アジアからヨーロッパに向かった牧畜民は「アーリア人」とは自称していない。言語と自称を基準とするなら「アーリア人」はインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン系に限定。
18世紀後半〜20世紀前半のヨーロッパ人達はインド・イラン系の言語を話すわけでないのに突然「アーリア人」と自称し始めた。
〈インド・ヨーロッパ語族の発見〉
1787年、ウィリアム・ジョーンズが「インド・イラン人とヨーロッパ人は共通の祖先を持っている」とする学説を主張。
オックスフォード大を卒業したジョーンズはカルカッタに赴任。
サンスクリット語を学ぶとそれがギリシア語、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語と共通構造を持っている事に気付いた。
が、実は、イラン系の言語資料の大半は当時まだ中央アジアの地中に埋もれていた。
なので、サンスクリット語で比較するしか無かった。
現代では常識である、
インド・ヨーロッパ祖語
→インド・イラン諸語
↘ヨーロッパ諸語
ではなく
サンスクリット語→インド・イラン諸語
↘ヨーロッパ諸語
というモデルが提出されサンスクリット語がインド・ヨーロッパ語族の女王の座に。
それによりヨーロッパ人達も嬉々として「アーリア人」を名乗るという現象が生まれた。
この本に関してはここまで。
このあと、ラスト5ページに渡り聖書との関連が紹介される。
自分はアーリア人には興味あるが聖書には興味無いのでここまで。
これまで19回に渡り、この著書を読んで自分なりに大事だと思う点を列挙してきた。
ネタバレが多過ぎて申し訳ないので迷わず購入させて頂いた。
アーリア人に対する理解が深まった。
この本で最も印象に残ったのは、古代の中央アジアでフン族が襲来した際、アーリア人遊牧民がゲルマン民族と共に今のドイツへ逃避行。
更に、フランスへ。
そして、ピレネー山脈を越えスペインや北アフリカまで移住した、という史実。
車や飛行機の無い時代としては物凄い移動距離。
ユーラシア大陸で生きていくの、ホント大変なのな。
昔も今も。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
15時半にお孫ちゃん達が到来。
17時から夕食。

焼き芋、ししゃも、鶏手羽中華麹漬け、里芋サラダ、ガンボスープ、ジャンバラヤ。
里芋サラダは嫁が作ってきた。
ジャンバラヤはソーセージ入りで作った。
ソーセージ好きの孫がソーセージばかり食べるので目に入らない場所へ移動させたので映っていない。
自分はまだお腹が空いていないので食事が終わった孫達と順番に遊んだ。
19時半に帰って行った。
そのあと、夕食を食べようとしたら、何とししゃもが完売。
ジャンバラヤも完売していたが、これは味見で一口食べていたのでいい。
が、ししゃもは晩酌用としても必要。
冷凍庫からもう一パック出して焼く事に。
ウォッカ梅酒ロックを呑みながら焼きたてのししゃもを美味しく頂いた。
後片付けを済ませたら営業終了。
調べ物をしてから寝ることに。
歩数計は8565。
充実した一日だった。