2024/11/22金曜日
6時に起床し洗濯と次男のおにぎり、昼食作り。
ベランダガーデニングの水遣りも済ませたら9時にお孫ちゃん達とお出かけ。
近所の公園で遊ぶ事に。
雲一つ無い青空。
銀杏も色づき始め絶好のお出かけ日和だった。

雨続きのあとの久しぶりのお外遊び。
ぽかぽか陽気の中、11時まで楽しく遊んだ。
一旦帰宅後、自分は畑へ。
公園でモンシロチョウが飛んでいたのでアオムシが気になった。
チェックすると、居た。

全部で4匹を駆除。
朝晩は結構寒いけど、モンシロチョウて気温何度まで活動するんだろうね。
アオムシチェックのあとは草取り。
そして、最後に大根十耕。
良い汗を搔いた。
12時半に帰宅後、昨夜以来の食事とシャワー。
14時から最新情報をチェック。
ウクライナがロシアにミサイルを撃って、それへの報復でロシアもミサイルを撃った、という報道があった。
遠い欧州で起きている戦争だから関係無い、とは言えない。
何故なら日本はウクライナに多額の支援をしている。
ウクライナがその資金でミサイル等購入しロシアを攻撃していたら、日本は戦争にガッツリ加担している事になる。
つまり、いつロシアに攻められても仕方が無い状況。
ウクライナへの支援を決定しているのは内閣。
自民党。
こんな大事な事、閣議決定では無く本来、国会で議論して決めるべき事。
内閣が議会無視でやっている。
野党が野党らしく吼えないから内閣(自民党)のやりたい放題。
今後の推移を見守る事に。
14時半に夫がお孫ちゃん達を迎えに行った。
17時までうちで遊んだ。
17時過ぎに呑み会へ行く夫を駅まで送迎。
帰宅後、漸く読書。
昨日に引き続き青木健著「アーリア人」
〈一二イマーム・シーア派を国教に〉
16世紀に再びテュルク系遊牧民が樹立したサファヴィー王朝は一二イマーム・シーア派イスラームを国教に導入。
これによりスンナ派イスラームを信じるパシュトゥーン人が支配するイラン高原東部や中央アジアとの間にかなりの文化的断絶が発生。
これがアフガニスタン王国建国の伏線に。サファヴィー王朝はイラン高原西北部のアゼルバイジャン地方を基盤とするテュルク系遊牧民が一二イマーム・シーア派イスラームの教義を旗印にイスラーム教徒ペルシア人官僚に文書行政を依存して建国した国家。
〈イスラーム教徒ペルシア人を中心とした近代国家へ〉
19世紀以降はイラン高原西部・中部にも国民国家の概念が導入されテュルク系遊牧民の軍事力に依存した王朝体制は終焉。
このペルシア王国は人口の5〜7割をペルシア人が。
2〜3割をテュルク系遊牧民が。
1割をアラブ人が、残りをクルド人が占める典型的な多民族国家。
国語は近世ペルシア語に統一されアゼルバイジャン地域に多いテュルク系遊牧民や旧エラム地域に多いアラブ人は肩身が狭くなった。
〈アーリア民族主義の時代=パフラヴィー王朝〉
1925年、パフラヴィー王朝が成立するとイラン高原西部・中部は開発独裁政権下に置かれ、人権を抑圧してでも近代化を優先する政策に。
そして、国民統合のスローガンに「古代アーリアの栄光」を採用。
1935年にナチス・ドイツに影響され国名を「ペルシア王国」から「アーリア民族の王国」を意味する「イラン王国」に変更。ドイツから多数の技術者を招き近代化に専念。
ヒトラーのシグナルに応えた初代国王レザー・シャー・パフラヴィーは第二次世界大戦中、イギリスとソ連の圧力で退位。
続いて即位した第2代国王モハンマド・レザー・パフラヴィー(日本の報道機関では「パーレビ国王」と呼ばれた。何となく記憶にある)も父王の路線を踏襲。
イスラーム文化の影響を抑え、アメリカの援助を背景に、アーリア民族主義を旗印に白色革命を進めた。
〈一二イマーム・シーア派イスラームへの回帰=イラン・イスラーム共和国〉
王家と支配者階級はアーリア民族の復活に盛り上がっても、今さら2500年前のアイデンティティは一般民衆には復活せず。
オイルマネー経済が好調なうちは問題が表面化しなかったが経済がバランスを崩し王政の腐敗と過度のアメリカ依存が明らかになるとイラン革命(1979年)が勃発。
一二イマーム・シーア派の聖職者達が指導するイスラーム共和国が成立。
国名も「イラン王国」から「イラン・イスラーム共和国」に。
ペルシア人のアイデンティティはアーリア民族主義という極端からイスラーム原理主義という極端へ揺れ動き現在に至る。

現在ではイラン高原西部・中部に「イラン・イスラーム共和国」(1979年成立)、イラン高原東部に「アフガニスタン・イスラーム共和国」(2004年成立)、イラン高原東部からインド亜大陸西部に「パキスタン・イスラーム共和国」(1947年成立)が連なる。イラン系アーリア人の子孫であるペルシア人とパシュトゥーン人は宗教色の強い「イスラーム共和国」を形成。本家のアラブ人やテュルク人達がそうでもないのにゾロアスター教徒末裔のイラン系アーリア人達が頑張ってイスラーム国家体制を守っている。
今日はここまで。
イランがめっちゃ多民族国家だったのは知らなかった。
が、この本を読んで、長い歴史の中でどの民族も生き延びるの大変だった、と知れたのが良かった。
言語が消滅したり為政者が変わる度に改宗したり。
その点、島国日本は他国からの侵略が19世紀まで無かった事で独自の言語や宗教を含む文化が発達し国の隅々まで浸透。
太古からそれなりの帰化人は住み着いていたけれど争う事無く融和し良い国を作ってきた、と思う。
外国に侵略された19世紀から可怪しくなった。
18時から晩酌。
チーズをツマミにウォッカ梅酒ロック。
夕食は昼の残りの親子丼で済ませる事に。
このあとも読書と調べ物をする事に。
歩数計は7886。
充実した一日だった。