arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1155日目と大根ニ耕とアーリア人⑥

2024/11/10日曜日

6時に起床し子供らの朝食作りと洗濯。

ベランダでの水遣り中に薔薇の花に幼虫を発見。

駆除用の箸で摘まんでも動きが殆ど無い。

寒いからね。

悪魔くんに連れて来られて可哀想。

水遣りを済ませたら、醪を容器に移す作業。

8リットの瓶に仕込んだ醤油は絞るのに2日掛かった。

液体を瓶3本に移したら、残った醪を容器へ。

大量の醪味噌が発生した。

手前のプラスチック容器の蓋が欠けている。

DSは嫌がらせでこういう事をやる。

他にも土瓶の注ぎ口やコーヒーカップ、お皿等。

破壊活動がだーいすき♡

 

8時半に畑へ。

アオムシチェックを済ませたら納豆菌培養液を掛けてあげた。

そして、大根を植える畝の耕し2回目。

先日観た大根栽培動画て「大根十耕」という言葉を知った。

良い運動にもなるので十回耕す事に。

10時半に帰宅後、シャワー。

11時から読書。

一昨日に続き青木健著「アーリア人

 

㈣西クシャトラパ王国の歴史(1世紀〜5世紀)

〈パフラヴァ王国の総督の自立とサカ暦の導入〉

遊牧勢力としてのサカ人はヴィンダ・ファルナフ大王によってグジャラート州方面の総督に任じられた一派が存続しサカ人の文化を維持。

その指導的立場に立ったのがクシャハラタ家出身のブマカ王が西クシャトラパ王国と称し、数十にのぼるパフラヴァ王国の元総督達の家系の連合政権を樹立。

コインを発行しサカ暦を導入した。サカ暦はインドの公式暦の一つ。

ローマ帝国との貿易と仏教の保護〉

この西クシャトラパ王国はインド亜大陸の物産をローマ帝国へ輸出する貿易に勤しみ騎馬遊牧民としての面影は消え失せた。

宗教的にはバラモン教を保護せず仏教に帰依。

この時代、西インドでは仏教石窟寺院が多数造営されている。

この西クシャトラパ王国は350年以上グジャラート州を支配した末に405年にグプタ王朝のチャンドラグプタ2世によって滅ぼされた。

〈五〉サカ人の文化『サカ的ゾロアスター教』と仏教の興隆

サカ人達が建設した拝火神殿遺跡の多くは中央アジア一帯で研究されないままに放置。

しかし、ガンダーラの首邑タキシラではジャンディアール寺院が残っており拝火神殿様式を知る事が出来る。

サカ人は拝火信仰を維持しつつも土着の仏教教団に寄進。

ストゥーパ(仏塔、卒塔婆)が多数建設されている。

ガンダーラからグジャラートにかけて仏教が非常な広がりを見せていた。

支配者はゾロアスター教の亜流、被支配者は仏教を信仰。

前者が滅んだことによりサカ的ゾロアスター教インド亜大陸で滅び仏教だけが残った。

5 大月氏、エフタルからテュルク系遊牧民への覇権交代(前ニ〜後六世紀)

㈠大月氏(前ニ〜後三世紀)

中央アジアの残党

ここまでのイラン系アーリア人遊牧民の盛衰をおさらい。

紀元前9世紀に勃興したウクライナ平原のイラン系アーリア人遊牧民は4世紀までにフン族に追われフランス、スペインに移動するか、コーカサス山地に定住。

前六世紀から活動が確認される中央アジアイラン系アーリア人遊牧民は大月氏に故地を奪われ5世紀までにインド亜大陸西部に定住。

中央アジアではイラン系アーリア人遊牧民の残党がテュルク系遊牧民と混交しつつ生存した。

〈大月氏とクシャーナ王朝〉

月氏の歴史は次の二つに区分。

①サカ人を追って中央アジアを本拠とした前2〜後1世紀

②インド・サカ人を追ってインド亜大陸西部にクシャーナ王朝を建てた1〜4世紀

月氏の宗教文化的重要性は、

①クシャーナ王朝時代に仏教を保護し大乗仏教の隆盛を招いた

グレコバクトリア王国の遺産を引き継いでヘレニズム文化を保持

③ヘレニズムの表現様式と仏教思想を結合しガンダーラ美術の発展を促した

④支配地域内のバクトリア人が豊富な文献資料を遺している

㈡エフタル(5〜6世紀)

〈ヒヨーン人とエフタル〉

295年、大月氏が建てたクシャーナ王朝がペルシアに興ったサーサーン王朝に併合されて以降イラン高原東部から中央アジア南部は暫くの間、サーサーン王朝領に。

5世紀半ばに中央アジアに新たな遊牧勢力エフタルが勃興。

バクトリアに本拠を構えてサーサーン王朝の東方諸州を圧迫。

彼らの出自は自称はわかっていない。

サーサーン王朝側のパフラヴィー語文献では「ヒヨーン人」アヴェスター語の「ヒヤオナ人」と同一視されている。

後者は前12〜前9世紀にザラスシュトラ・スピターマと敵対した部族。

ゾロアスター教の伝統的仇敵。

ゾロアスター教神官団は古のヒヤオナ人と今回出現したヒヨーン人は同一。

ゾロアスター教を根絶する為に復活したと考えた。

〈ヒヨーン人とエフタル〉

パフラヴィー語文献によればヒヨーン人はテュルク系民族黒海沿岸のハザール人、チベット人と並んでサーサーン王朝を包囲する四大蛮族と数えられている。

バクトリア語文書の解読によるとエフタルは単独の王が統治。

かなり完備した徴税組織と官僚機構を具えていた。

エフタル国家は5世紀中葉のアフシュンワール大王の時代に最盛期。

「アフシュンワール」はイラン系アーリア語で「権力を持つ者」を意味する。

457年、サーサーン王朝皇太子の弟ペーローズがエフタルの戦力を借りて勝利。

ペーローズ1世に。

469年、アフシュンワールが王位に就くと彼はエフタルに侵攻。

負けたペーローズ1世は皇太子を人質にし助かった。

が、エフタルへの賠償金を払えず再び宣戦布告。

ペーローズは今度こそ戦死。

サーサーン王朝はエフタルの属国に。

エフタルはトラマーナ王とミヒラクラ王の時代にインド亜大陸へ向かった。

但しエフタルは仏教に共鳴せずむしろ弾圧。

ミヒラクラ王は大規模な廃仏によって悪名を残した。

しかし、この頃モンゴル高原からテュルク系遊牧民突厥が勃興。

サーサーン王朝は突厥と同盟しエフタルを挟撃。

567年に滅ぼした。

テュルク系民族突厥は同じ遊牧民でもイラン系アーリア人の宗教観念ー例えば竈崇拝や犠牲獣祭(スキタイ人)、太陽崇拝や聖火崇拝(マッサゲタイ族)、墓に放火する「拝火儀礼」(サルマタイ人)、ミスラ神崇拝(パルティア人)、アフラ・マスダーを中心とした多神教(大月氏)、火神崇拝、魚信仰(エフタル)などーとは全く別種の信仰。

即ち、テングリ(上天)崇拝、シャーマニズムアニミズム(自然崇拝)

↑この表はわかりやすくて興味深い。

今日はここまで。

 

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書と調べ物。

731部隊に関して興味深い記事を発見。

そのうち調べてみる事に。

16時から夕食作り。

17時に長男一家が来訪。

17時半から夕食。

きりたんぽ鍋。

しょっつるは無い。

醪で味付けした。

嫁はきりたんぽ鍋は初めて食べたそうで喜んで食べていた。

孫もきりたんぽを美味しそうに食べていた。

お皿は嫁と長女が洗ってくれた。

19時半に帰って行った。

このあと、読書と調べ物に勤しむ事に。

 

歩数計は7051。

充実した一日だった。