arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1152日目とアーリア人④と斎藤元彦元兵庫県知事

2024/11/7木曜日

5時に起床し最新情報をチェック。

5時半に起床後、長女の朝食とお弁当のおかず、次男のおにぎり作り。

畑に行こうと思っていたが朝から強風。

一日中強いようなので畑はお休み。

ベランダの水遣りと洗濯をしたら台所仕事。

麻炭クッキーをオーブンにセットしたら、中華麹をヨーグルトメーカーにセット。

自家製みりんを絞ったらドレッシング作り。

そして、自家製醤油絞り。

自家製みりんからは酒粕を、自家製醤油からは醪をゲットした。

11時から読書。

 

昨日に引き続き青木健著「アーリア人

 

㈤パルティアの文化

〈複合的な文化〉

アルシャク王朝時代の文化は①パルニ族の遊牧文化、②ヘレニズム文化、③イラン系アーリア人定住民文化の複合体だった。

{パルニ族の宗教文化}

①素朴なミスラ神崇拝 

アルシャク王朝の中でも特に業績顕著だった大王が二人共ミフルダート(ミスラ神が創造した者)を名乗る。

大王家のみならず大貴族のミフラーン家も。

ニサーから出土した陶片にもミスラ神の名が。

一般のパルニ族の間でも崇拝される。

彼らのミスラ神崇拝は素朴な太陽神崇拝の域を出ていなかった。

②スルヴァーン主義

パルニ族がメディア州やメソポタミア平原へ進出後、メディア文化の影響を強く受ける。

パルニ族の言語、パルティア語は中央アジア出身にも拘らずわ西北イラン語に分類される。

メディア文化の中核はスルヴァーン主義。ミスラ神はアフラ・マズダーアンラ・マンユを取り持つ仲裁神。

スルヴァーン神はアフラ・マズダーアンラ・マンユ止揚する時間神。

これらをベースにメディアにあったスルヴァーン主義は素朴なミスラ神信仰を持ったパルニ族が支配者として君臨したことで、ゾロアスター教の二元論を乗り越える宗教として独自の発展を遂げ、マーニー教やサーサーン王朝の宗教に大きな影響を与えた。

↑これは、スウェーデンの古代イラン宗教学者G・ヴィデングレンの説。

【マーニー・ハイイェー】

出自は3世紀初頭にハマダーンを領したパルニ王族に遡る由緒正しい貴公子。

その父が深い宗教的煩悶の末メソポタミアに移住しユダヤ教キリスト教の洗礼教団に入信。

セム的宗教の雰囲気に包まれて育った。

マーニーは驚異的な教義立案能力と布教能力に恵まれ20代からマーニー教教会を設立。

四方に弟子を派遣しセム的宗教とアーリア的宗教を混合した自らの教えを宣布し始めた。

イラン高原東部から中央アジアで普及しバクトリア人やソグド人の間に熱心な信者を得た。

 

インド・サカ人とインド・パルティア人ーインド亜大陸への進出(前2世紀〜後5世紀)

㈠サカ人の大移動ースィースターンからインドへ

〈パルティアの本拠地移動と大月氏の侵攻〉

サカ人は前2世紀に中央アジアからイラン高原東部へ大移動。

アルシャク王朝のミルフダート2世が本拠地をメソポタミア平原に移動させた事でイラン高原東部は真空状態に。遊牧民の大月氏が東方へ移動。

これらの二つが重なり大移動したサカ族はイラン高原東部を通ってアルシャク家の大王2名を敗死させたあと、一部はそこに留まり封建貴族に。

大部分はインドまで南下。

最初にインドへ侵入したサカ人達をインド・サカ人。

いったんイラン高原東南部に留まってからインドまで足を伸ばした。

㈡インド・サカ人の歴史(前2世紀後半〜後1世紀半ば)

〈インド・サカ人の第一波とモガ大王〉

サカ人は中央アジアからパミール高原を越えてカシミールに抜けた説が有力。

族長モガ大王の名前を刻んだ碑文がギルギットで発見。

最初の大王、モガ大王の推定統治年代は前120年〜前85年。

コインの分布から考えると支配領域はカシミールパンジャブパキスタン

イラン系アーリア人定住民の居住地域から離れた地域を支配していたが伝統的な「王中の王=皇帝」の称号を名乗る。

前100年前後のイラン系アーリア人遊牧民の間ではイラン高原のミフルダート2世とインド亜大陸西北部のモガ大王という2人の皇帝が相次いで即位。

それぞれの天地で覇を唱えていた。

前85年にモガ大王が没すると第二波のサカ人がバクトリアとスィースターンを通過しボラーン峠を越えてインダス河流域へ進出。

この道すがらグレコバクトリア王国を滅ぼした。

推定統治年代は前85年〜前65年。

彼らとモガ王家との関係は不明。

モガ大王一族と見られるアゼス王がヴォノネ゙ス王家の共同統治王としてコインを発行しているからモガ王家の一部はヴォノネス王家と棲み分けて共存。

タキシラではモガ大王の息子が叛乱を起こしモガ大王の一族も自立して独自のコインを発行。

〈アゼス1世とヴィクラマ暦の導入〉

ヴォノネス王の没後、モガ大王の領土を再統一したのはまたもやイラン系アーリア人定住民伝統の「王中の王=皇帝」の称号を採ったアゼス王。

前57年、ウッジャインの在地勢力が弱体化しつつあったアゼス1世の軍を撃破。

これを記念して前57年を元年とするヴィラクマ暦を開始。

北インドとネパールで一般的な年代表記に。

インド・サカ人は外来の敵としてバラモン教徒に長く記憶される事に。

アゼス王朝傘下のクシャハラタ家が突如ゾロアスター教的な打刻のある独自のコインを発行。

アルシャク王朝がイラン系アーリア人定住民の文化を尊重する政策に舵を切ったのは1世紀後半。

それより70〜80年早くインド亜大陸西北部でゾロアスター教のモチーフが現れる理由は研究上の謎。

今日はここまで。

アーリア人について深く知りたいと思い読み始めたが、何とインドの古代史にまで踏み込んで来た。

そういえば、世界史でインドのところで「アーリア人の侵入」ていう史実を学んだ。

この本を読む限りでは侵略とはいえ「モガ大王」の統治までは現地人と共生してた感がある。

しかも、自分、アーリア人カーストの一番上のバラモン階級になったのかと勝手に思っていたら違った。

既にバラモン階級は存在してた。

で、アーリア人と対立していた、と。

今後、それの詳細が出てくるかはわからない。

が、自分の誤解が解けただけでも読んだ甲斐があった。

アーリア人について知らない事も多々あるし恐らく誤解も多々あると思われる。

最後まで読みきる事に。

 

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書と調べ物。

風が強いのでお孫ちゃん達は来なかった。

夕方からは県議数名による陰謀で兵庫県知事を失職させられた斎藤元彦候補に関連する動画を次々と視聴。

このクーデターとも言われる陰謀はマスコミを巻き込み兵庫県民どころか日本国民を騙し大成功。

斎藤知事を失職に追い込んだ。

自分も騙された。

トランプ大統領のお陰で、DSによる陰謀をかなり見透かせるようになった、もう騙されないぞ!と思っていたが、今回の陰謀はころっと騙された。

実に巧妙だった。

まさか、自殺した人を利用するとか思わない。

そこまでする?

しかも、その自殺した人を自殺に追い込んでまで陰謀を成し遂げるて、それ、殺人やないの?

そこまでして利権にありつきたかったんか。

それでも、自殺した方が悪い、て言うんか?

騙される方が悪い、て。

嵌められる方が悪いて?

11/17に行われる兵庫県知事選は全国が注目。

https://web.pref.hyogo.lg.jp/si01/senkyo/2024senkyo/tiji.html

兵庫県民には利権絡みの組織票に負けないで欲しい。

あと、不正選挙もちゃんと取り締まるように。

 

17時から夕食作り。

玄米ご飯、なめこと豆腐の味噌汁、豆腐と厚揚げステーキのあんかけ、豚と大根の醪梅煮、牛すじ煮込み、サラダ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿を洗ったら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は5468。

充実した一日だった。