arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1094日目と畑と明智光秀の乱②

2024/9/10火曜日

4時半に起床し朝食作り。

5時半に畑へ。

ミニトマトは相変わらず実を付けない。

けれど、変なもんぶっ掛けられているのにベストを尽くしているから良い。

7時に帰宅後、シャワー&洗濯。

ベランダの水遣りも済ませたら、最新情報をさーっとチェック。

9.11も近いからね。

8時半から読書。

昨日に引き続き、明智光秀の乱本。

 

フロイスは小侍従(義輝側室)が身重だった事を力説。

↑更に、光秀から服部七兵衛尉への書状に「今度竹身上の儀につき、、、」とある。「竹」は小侍従の事か。

光秀は坂本城が落成した直後、竹を越前から連れ戻した。越前と言えば朝倉義景足利義昭は彼の元へ亡命していた。元亀三年(1572年)8月に義昭に男子が誕生。不測の事態を避ける為に光秀は小侍従母子を坂本城に呼び寄せた。

信長は天正元年(1573年)中までは義昭の子を後継将軍に推していたから義輝の遺児や母親がいたとしてもその存在は知らなかったと思われる。

1572年(元亀三年)に小侍従(御ツマキ)と光慶(義輝遺児)は越前から坂本城へ。

長実防英俊執筆の天正9年8月22日の条の「多門院日記」によると光秀の妹ツマキが死了、信長一段退き由也、とある。

また、光秀の娘達は細川藤孝やその他大名・高家の娘達に比べ政略的価値が格段に高く縁組が成されている。匹敵するのは信長の妹や娘達。

光秀娘は荒木村安室、織田信澄室、細川忠興室など。

明智光秀の政権構想と「上杉本洛中洛外屏風絵図」

あるべき理想の天下秩序。理想の天下が見事に表現されている屏風絵図。

見てみたいものだ。

正親町帝と将軍義輝は改元キリスト教禁教問題等で鋭く対立。義輝殺害後、三好長逸と三好義継の名代が参内。帝から御酒が下賜された。帝は将軍殺害を祝した。

佐藤進一氏によると永禄八年五月の政変を機に信長の花押の様式が変わった。信長の花押は「麟」の一字。麒麟が至治の世に出現する想像上の動物。花押を変えた事は信長の確固とした政治意志の現れ。

永禄八年五月の政変で義輝は討死。

永禄八年11月和田惟政尾張で信長と会談中、義秋(義昭)が何の通告も無く身を寄せていた甲賀の和田屋敷から近江野洲郡矢島に移動。←誰の屋敷に?

永禄9年閏8月8日、義秋派遣の惟政の説得で信長は美濃の斎藤龍興と対戦。洪水もあり大敗。9月に墨俣で勝利。翌永禄10年8月に稲葉山城を陥落。永禄11年9/26に上洛。永禄八年の政変から3年以上経過。

光秀などの親信長派の「奉公衆」「奉行衆」は事件後、義昭の恣意を排除し将軍権力と幕府政治を分離させ、統治権を掌握し公正な法度による畿内支配を実現する事で幕府政治の安定化を試みた。

「事件」とは永禄12年(1569年)1/5に京都の中心部にあった六条本国寺に仮の宿舎を構えた義昭が三好三人衆に襲撃された第二の事件の事。この事件を端緒に光秀ら「奉公衆」「奉行衆」などの意向に添う形で信長が幕政に本格介入する。

信長はこの「本国寺合戦」を契機に電光石火に「殿中御掟」を制定・発布。

信長の上洛は1/10。

「殿中御掟」は1/14に九カ条、16,日に追加七か条の計16か条が立て続けに発布。この事件は永禄11年1/14に明智光秀の存在が確認されてから約1ヶ月半後。

信長公記」によると本国寺に立て籠もって将軍義昭を守った武将は、典厩家細川藤賢、織田(津田)左馬丞、織田左近、野村越中守、赤座七郎右衛門、同助六、渡部勝左衛門、坂井与右衛門、森弥五八、奥村平六三衛門、明智十兵衛尉、若狭衆山県源内、宇野弥七など。

「本国寺合戦」の時、信長は岐阜に来ていた松永久秀をもてなしていた。←これも示し合わせか。多分信長もその計画は察知し準備していたと思われ。

これにより五畿内は真空地帯に。この虚を突き三好三人衆は本国寺に義昭を襲撃。この一報を聞くや信長は八万の軍勢で5日後の1/10に上洛。信長は幕府と将軍の安全を図る名目で畿内に織田の軍勢を駐留。義昭は政務全般を任せる事に。

具体的に幕府創設期の足利直義と同等の権力を認めさせ天下人として君臨。

その象徴的存在として政治的に義輝の遺臣達の復権に置き換える事ができる明智光秀の登場と同時に新しい天下人織田信長が誕生。

その後信長は将軍の二条御所の建設に着手。畿内統治の要が明智光秀その人。「織田・明智体制」の誕生。

もしかして、明智光秀外戚として光慶(義輝遺児)を傀儡に自分が政治を仕切ろうとした?藤原氏みたいに。その為に英邁過ぎる義輝は邪魔だったか。で、その光秀の目論見を見透かした細川藤孝は光秀の乱に参画しなかった?

今日はここまで。

 

9時半に孫達と公園へ。

11時に帰宅。

12時半に昨夜以来の食事。

午後は14時から孫達が来訪。

至福の時を過ごした。

孫達が帰った16時から再び読書。

17時半から夕食作り。

モヤシと小松菜のナムル、鶏むねと榎とチーズのナゲット、ニラ奴、さつま揚げ、ツナサラダ、昨日の残りの味噌汁、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書を楽しんでから寝ることに。

 

歩数計は7982。

充実した一日だった。