arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1069日目と親族来訪⑥

2024/8/16金曜日

4時に起床し天気予報をチェック。

雨はまだ小降り。

今のうちにスーパーへ買い物に行くことに。

5時半に帰宅。

朝の家事を済ませたら読書。

 

昨日に引き続き、本多正信本。

三河の士豪の由緒等が書かれていて興味深い。

 

例えば、鳥居元忠で有名な鳥居氏。

鳥居氏は「渡り衆」と言われ、中世に紀州熊野から移住。

浄土真宗に帰依し太子像を信仰。

上宮寺近くに居住。

水運業を中心とした商人的性格で、鳥居忠吉今川義元から三河領の財政官に任命される。

 

そして、本多氏。

人々は本多家の立ち葵紋を拝んでいた。

信濃善光寺の寺紋でもある。

信濃定額山善光寺の本尊は三尊仏。

我が国最初の仏像。

インドで作られ百済を経て欽明天皇13(552)年頃日本に来た。

三尊仏は一度排仏派によって難波に捨てられた。

それを麻績の里東人、本田善光が拾い故郷の草堂に安置。

善光寺の由来になったそうだ。

三尊仏の正式名は一光三尊阿弥陀如来。「八宗兼学」の精神を持った善光寺聖徳太子と血縁がある。

松平譜代としての本多一族は佐渡守正信(弥八郎)の家系が嫡流で平八郎忠勝家と豊後守家共に次男系と伝える。

上宮寺所伝「乗槃雑録」もそう伝える。

門徒衆との関わり合いを見るにつけても。

本多正信が家康の元から出奔し一向一揆衆の味方になった理由が何となくわかる。

更に、「アキンド」という言葉の由来も。

秋の収穫期に訪れて行商する者をアキビトと言い、古語ではアキュウド。

それはやがてアキンドと言われるようになった。

そして、西尾市の地名の由来まで。

三河湾沿岸では海水を煮詰めて塩を製造する方法が発達。

そのような煮潮が盛んだった地方の1つは西尾市に。

めっちゃ勉強になる。

何より驚いたのは本多氏の由緒の古さ。

そして、聖徳太子とも関わりがある事。

聖徳太子三河に行啓していた事にも驚いた。

今日はここまで。

12時に昨夜以来の食事。

 

午後も読書。

16時に親族が来訪。

夕食を一緒に食べ、20時まで滞在した。

バタバタしていたので画像は無し。

グラタンとピザメインで良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

 

歩数計は6860。

充実した一日だった。