2024/8/4日曜日
4時15分に起床。
5時に畑へ。
持参した苗を定植したら作物チェック。
7/24に植えたミニトマト苗は絶望的な状態。

わいに購入されたばっかりに枯死する運命に。
ちなみに、緑色の液体は除草剤ではなく雑草の素では?と推察。
去年、田んぼでも緑色の藻から生えてくる雑草達に苦慮した。
態々そんなもん撒くのも犯罪やで。
7/30に植えたミニトマト苗はまだ手を出されていない。

冬瓜は次々と花を咲かせ始めた。

ウリハムシも来ている。
このあと、ミントスプレーを掛けたら慌てて飛んでいった。
今日は9時まで作業。
そのまま、買い物へ。
10時に帰宅後、シャワー&洗濯。
そして、ベランダガーデニングの水遣り。
朝の家事を終えたら、もう11時。
昼食を作る時間に。
麻婆春雨茄子を調理。
12時15分に昨夜以来の食事。
ヤロー共に大好評だった。
午後は読書と調べ物。
昨日に引き続き土淵正一郎著「高松塚は高市皇子の墓」
この本では高松塚が高市皇子の墓である根拠が書かれている。
その中で、高市皇子の出自についても紹介されている。
高市皇子の母は尼子娘。
筑紫の豪族、宗像氏の出身だ。
宗像氏と言えば、宗像三女神と縁を結んでいる。
宗像三女神とは大日孁貴(天照大神)の娘達の多紀理毘売命、市杵島毘売命、多岐都毘売命の事。
※天照大神は男神。これも持統ー文武継承を正当化しようと神話を創った為ら。
宗像三女神の系譜の姫が尼子娘。
帰化人の蘇我入鹿の息子の天武天皇にしてみれば、自分の継承を正統化する為にも是非とも子を成したい姫だ。
で、生まれたのが第一皇子の高市皇子。
しかも、その名が示すように、養育された地は大和(奈良)の三輪山の麓の高市氏。
バリバリの大和民族や。
てか、天孫族の子孫では?
わいは、天武の意志もそうであったように、堂々たる皇位継承順位1位の皇子だったと思うで。
兎に角だね、額田王(倭姫皇后)のように、高市皇子の高貴な血筋を隠そうとする意志が働いている。
血筋だけでなく壬申の乱に於ける高市皇子の功績というか、存在は大きいと思う。
天照大神の系譜の皇子が呼び掛けたら、そら、大勢加勢しますわ。
今日はここまで。
17時から夕食作り。

枝豆、アオサ赤紫蘇奴、鶏むねサラダ、昼の残りの麻婆茄子春雨、ウォッカ梅酒ロック
良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
明日も朝早いので寝ることに。
歩数計は10662。
充実した一日だった。