arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

見つかった日記:オートファジー1054日目と畑と「ためされた地方自治 原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年」➂

2024/8/1木曜日

3時に起床し朝食作り。

4時半に畑へ。

 

まずは被害状況から。

24日に植えた苗はもう駄目かな。

ピーマンも怪しいけれど、隣の枝豆も巻き添え。

トマトとその隣の枝豆も日に日に弱っている。

その証拠に開花期の枝豆には丸っこいカメムシが大量に張り付いている。

害虫は弱みにつけ込むから。

悪魔くんも「く〜じけーた涙に悪魔は寄ってくる♫」て歌ってるしね。

濃いめの木酢液水をプレゼントしておいた。

 

7時に帰宅後、シャワー&洗濯。

ベランダで種蒔き。

ベランダでも緑色の液体を撒かれるので苗作りしようにも発芽率は一割と低い。

それでも、次々と植えたい野菜はあるから苗作りは進める。

 

9時過ぎに買い物へ。

10時半に帰宅後、最新情報をチェック。

そして、読書。

昨日に引き続き珠洲原発反対運動の本。

不在地主が被告人となった脱税裁判を通して原発予定地用地取得の手法を紹介。

 

ダミー会社の角田によれば二重の契約書が作られた理由は次の通り。

「土屋先生(不在地主)の土地は多い。登記すると目立つ。売主・買主両方が登記を先送りしたい。登記を直ぐにしなかった。何かあった時の為に二重に契約書を作った」

「地主のポーズ」

土屋先生の土地の所有権移転をオープンにすると原発反対運動に拍車を掛けるからしたく無かった。

弁護士 面積7万平方メートルの山林に売買契約書がありません。ここで被告人とティ・エフ・ケイ北陸がハーブ園をやる話があったそうだが。

角田 小野昭吉と関口登がハーブ園をやりたいから土屋先生の了承を取って欲しいと頼まれた。その時登記はまだ土屋先生。

高屋では何名かがハーブ園に土地を提供してお金を得る人が現れた。で、ある日高屋の山が禿山に!木々が無くなっていた。

弁 被告人がハーブ園共同事業をやった土地は非常に広大な森林ですが1995/5/31にこの土地の抵当権設定登記がされている。この登記にあなたも関与していますか?

角田 していません。土屋先生とハーブ園をやる話はティ・エフ・ケイ北陸から。それは土屋先生に伝えました。

弁 共同事業について誰に聞けばわかりますか?

角 ティ・エフ・ケイ北陸です。

1993/6/8, 関電の関口登が土屋勇造を訪ねてきた。土屋が珠洲市内に持っている土地を3億で売って欲しい。同年3月に亡くなった土屋の父はその土地は40億円の価値があると言っていた。土屋は控えめに20億円を提示。関電は帰って行った。

1993年6月末か7月上旬頃、今度は山口守という人が来た。

同年9/5, 土屋は山口のエーディー社との間で売買予約を交わした。

それから角田健二がはいってきて売買予約の買主が角田に変わった。土屋勇造が高屋に所有していた土地は分割し数回に分けて取引する事に。

1994年2/21, 土屋は角田にこれに従って申告するように、と「税務申告案」を渡された。

1995年12月11日、名古屋高裁金沢支部第一号法廷で笹本淳子裁判長は判決を読み上げた。

「1993年4月の珠洲市長選挙は無効」

1996年5/31, 最高裁で選挙無効が確定。市長選挙はやり直しに。←こんな公正な時代もあったのな。

約3年に及ぶ不正選挙糾明の道のりを経て樫田候補と支持者らが勝ち取った選挙無効の判決であり再選挙。樫田候補は再び立候補。

事務所の屋根の上にソーラーパネルを設置。←これは駄目。原発は要らないけど、ソーラーパネルも要らん!

貝蔵治候補陣営が票を買う為に金を撒いたという話が聞こえてきた。一票四万とも五万とも。

「裁判に勝てても選挙に勝てない」1996年7/14の投票日。

樫田淳一郎票 7499票

貝蔵治票 9356票

総投票数16,992票

投票率91.86%

樫田候補は前回に比べ700票減った。

投票翌日の7/15, 珠洲市役所に家宅捜索。陰の実力者田畑良幸・助役が逮捕され辞任。

1994年2月に中西陽一・前知事が他界。後任の谷本正憲知事は住民合意を最大限尊重。

貝蔵候補は市役所総務課長を辞職して立候補。え?市役所生え抜きで原発推進派?

1999/9/30(←奴らの好きそうな数字)茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」で臨界事故。

2000年の市長選挙は現職の貝蔵候補に36歳の新人の泉谷満寿裕候補が挑んだ。

結果、現職候補の再選で終了。

貝蔵 9300

泉谷 6690 

原発推進派は原発に反対する候補を支援しようと市外から応援に来る人々を「外人」と言って攻撃。それに対し、珠洲原発反対ネットワークは、関電、中電の人が沢山、珠洲をウロウロしています。この人たちこそ本当のよそ者。←キタコレ。これ、奴らの得意な分断工作じゃね?

新潟県柏崎市宮城県女川町など先例を見ても原発は過疎の歯止めにならず。

「外人」として排除された「珠洲市外の人々」が鍵だったのでは?

身銭を切って珠洲市までやってくる人々の力が推進派にとって脅威だったのでは?

原発問題に『外人』なし」

原発を利用するか否かは全国的に議論しないとダメ。

放射能の不安や危険と共に暮す等、原発の負の面を被るのは周辺の住民達。「原発が本当に利益なら都会は手放さない。自分が見たくないモンを都会じゃないところに押し付けるンよね」

そうそう。

原発は周辺住民が健康のリスクを負って建設される。

本当に安心安全なら東京のド真ん中に作ればええ。

奴らの得意の分断工作キターーー!内部に工作員を送り込んでやったな。

「物言えぬ選挙」

1993年のやり直し選挙をもたらした「珠洲市長選無効訴訟」について復習。

原告の主張

①無効な選挙人名簿を使った。

不在者投票の管理が違法だった。

➂偽造投票用紙の混入と正規投票の抜き取りがあった。

④開票管理が違法だった。

⑤選挙・投票の自由への妨害があった。

⑥総合的・全体的な違法があった。

高裁判決は②と④について認め不在者投票と開票の手続きがあまりに杜撰だったのでそれだけでも1993年の珠洲市長選挙は無効だとした。

1993年の珠洲市長選挙では全不在者投票の40%強にあたる692票に管理執行上の問題があった。

林幹人候補と樫田準一郎候補の得票数の差は958票だが、得票数に占める不在者投票の割合は林候補が12.5%なのに対し樫田候補は6.5%に過ぎない。

本件不在者投票が公明且つ適正を旨とする公職選挙法の理念に従って厳正に行われていれば異なる結果の生じる可能性があった、のであった。

1993年の激戦だった珠洲市長選挙では樫田候補の選挙カーは連日尾行された。つけていたのは主に林組の社員や他の建設会社の社員。彼らは樫田候補に声援を送った人をチェック時時にはビデオカメラに収めていた。←キモーイ!学校で「投票の自由」習わなかったんか?憲法で保障されてるんやで。もう一回中学校からやり直した方がええで。

後で圧力を掛けていた。「ばあちゃん、あんた今日樫田さんと握手しとったけど、どんなんね。あんたンとこのあんま(長男)は市役所に勤めとること、わかっとるんかいね。ばあちゃんがそんなことして、あんま困らんかねぇ」

「林の集会には行かんと目立つ(笑)樫田の集会は出ると目立つ」

樫田候補の集会は区長、勤め先、家長、親戚などから「行くな」と言われる。勇気を出して行くと会場入口で対立候補陣営の見張りの車がヘッドライトを着けて停まっている。誰が集会に来ているかチェック。←最早、自由選挙じゃねーな。

ヤベー!市役所目の前の林候補の選挙事務所から市役所入口に向けてビデオカメラが設置!←これこそ犯罪やないの?

強い者に逆らうとどうなるか、意思表示をすると自分はどういう立場に追い込まれるか、珠洲の人々は既に経験してたのな。

今日はここまで。

珠洲市民の人間関係ズタボロや。

今回のコロナワクチン騒動もそう。

ワクチン打った人と打たなかった人とで分断されとる。

わいは反ワク派?

DS連中はすーぐそういう派閥を作る。

何故か?

分断する為♥

そうそう、今、創価学会が槍玉に上がっている。

が、わいはしない。

何故か?

わいは「暴れん坊将軍派♥」だから。

爺が、「犯行が判明した下っ端のゴロツキをとっとと捕まえましょう!」と意気込むと上様は言ってた。

「下っ端を捕まえても問題は根本的に解決しない。その上に君臨している黒幕を捕まえんと」て。

で、黒幕を捕まえる為に態と下っ端を泳がせていた。

時代劇から悪い奴らの行動パターンを教わった。

 

12時に昨夜以来の食事。

お腹が満たされたら、読書と調べ物の続き。

 

休憩時間に枝豆に湧いている丸いカメムシの対策について調べた。

すると、ミント液が効く、との事だった。

早速ベランダのミントで作成。

17時過ぎに畑へ。

すると、ミントの半分以上が枯れていた。

残っていたミントを刈り枝豆に振り掛けた。

 

18時に帰宅後、夕食作り。

空芯菜とさつま揚げの中華炒め、タラコサラダ、昨日の残りのししゃも、昨日の鶏むね肉、玄米ご飯、ブリあら汁、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿を洗ったら営業終了。

読書をする事に。

 

歩数計は10967。

充実した一日だった。