arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1011日目と畑

2024/6/19水曜日

3:30に起床し洗濯と朝食、昼食作り。

洗濯は昨日雨で休んだので2回分。

5時45分に畑へ。

 

すると、まーた、緑色。液体を撒かれていた。

想定内。

奴らは「雨」にかこつけて撒くから。

葉っぱの色が霜が下りたあとのように灰色がかっていた。

霜が下りる気温では無いけれど、ね。

何か撒いたか。

すかさず、より消毒効果の高い竹酢液を掛けた。

昨日の大雨で畑には所々プチ溜池も出来ていた。

それも想定内。

泥に足を取られながらも竹酢液を掛けて回った。

 

6:45に帰宅後、ベランダガーデニング。

次に畑に植えたい作物の苗ポットを作った。

7時半には作業終了。

何とか朝の涼しいうちに作業を終える事が出来た。

台所で塩麹の材料をヨーグルトメーカーにセットし終えたら漸く読書時間。

11時半まで楽しんだ。

 

12時に昨夜以来の食事。

ヤロー共にはうどんを茹でた。

自分は納豆と玄米ご飯、味噌汁メインでお腹を満たした。

 

午後も読書。

北条時頼本を読んでいる。

この方、執権政治を確立した北条泰時を祖父に持つ。

この名執権直々の薫陶を受け成長。

更に、熱心な仏教徒の母、松下禅尼の薫陶も受け、幼い頃から仏像作りをして遊んでいた。

しかーし、武芸もきちんと嗜み、鶴岡八幡宮での流鏑馬行事では馬に乗り駆けながらも弓矢でキチンと的を得ている。

20歳で執権職に就任し30歳で引退&出家。

その政治は「中世の黄門樣」と呼ばれる程民に優しい政治をしたそうだ。

余りに慕う者が多く、36歳の若さで身罷った際は御家人の出家希望者が続出。

幕府から規制が掛かったそうだ。

その、時頼公、30歳の若さで引退したのは身軽になって諸国、特に東北を旅したかった為、と言われている。

来たる元寇に備える為に。

幕府は中国に間諜を派遣。

物凄い数の船を建造している、という情報を得ている。

日本を攻める為に。

そして、時頼は当時十三湊で対外貿易で富んでいた安東氏に元寇の際の支援を依頼していた、とも言われている。

時頼が採った危機管理対策について学ぶ事に。

 

17時から夕食作り。

豚の生姜焼き、ガーリックトースト、コブサラダ、なめこの味噌汁、ウォッカ梅酒ロック。

自家製ニンニクで作ったガーリックバターは最高に美味しかった。

お皿は長男が洗ってくれた。

ありがたく入浴。

読書をしていると眠れ眠れ爆弾攻撃を喰らい寝落ち。

23時に覚醒。

ブログを投稿したら再就寝することに。

 

歩数計は7949。

充実した一日だった。