2024/6/18火曜日
5時に起床し朝食と昼食作り。
ついでに中華麹作り。
6時半に納豆が出来上がったら入れ替わりに中華麹の材料をヨーグルトメーカーにセット。
外は大雨。
洗濯と畑はお休み。
昨日ベランダに干して取り込み忘れたスリッパを取りに出ると、ズッキーニの花が咲いていた。

鳩に2度も掘られて枯れかけた苗がここまで復活。
素直に嬉しい。
7時半に子供等を駅まで送迎。
思ったよりは降っていなかった。
むしろ、帰宅してから雨足が強まった。
12時まで精力的に読書。
船戸与一著「新・雨月 戊辰戦役朧夜話 上」を読了。
北越戦争がメインで描かれているが会津戦争の詳細も書かれている。
長岡藩家老・河合継之助による長岡城攻防戦も素晴らしいが、薩摩藩参謀伊地知正治による戦略にも感服。
大将の器て大事やな。
何せ、イギリスが最新式の大砲や銃を次々と後方支援。
幕府の賠償金で提供した軍艦にそれらと兵隊を載せて当に護送船団のように送ってくる。
そりゃ、勝ち目無いわ。
最初から出来レースよ。
それでも、河合継之助は「100年の後の公論に判断を任せる」と時流に乗らず我が道を行った。
河合継之助が1868年に戦死してから156年が経過。
わいは河合継之助に正義あり、に一票。
フェイクニュースが氾濫していた当時に於いて、ようまあ真実を見極めたな、と感服。
天晴!の一言。
12時に昨夜以来の食事。
夫には蕎麦を茹でた。
自分は納豆と味噌汁と玄米ご飯メインでお腹を満たした。
午後も精力的に読書。
家近良樹著「もうひとつの明治維新 幕末史の再検討」の続き。
この本は難解なので、少し読んでは他の読み易い本を読んで気分転換しながら読んでいる。
討幕に向けて着々と準備を進めていた。
が、その可怪しな事に気づいた孝明天皇に京都を出禁にされた。
それでは討幕活動出来ない、と必死にあの手この手で復活を遂げようと努力。
↓以下、本より抜粋。
鳥取藩は江戸出向中の河毛文蔵の補填として京都詰めを命じた黒川八十輔から6/25付用状にて長州勢が池田屋事件のあと幕府への意識を硬化させ冤罪を晴らそうと伏見屯集の動向を報じた。


長州勢によって引き起こされるやもしれぬ混乱状況に対応する為、分家当主及び家老の上京を促していた。
天皇の住まう京において勃発せんとする内乱は未然に阻止しなければならないと認められていた。

藩士慶徳(慶喜実兄)からの訓示。
①長州藩の寛大処分に際し「為神州何処迄も誠実に周旋」し諸外国に対し「内憂」が生じていると悟らせないやうにせよ。
②「浪速・山崎」へ長州討伐の命が下ったならば「禁閥御守衛」を理由に断り在京者は「奴僕に至る迄」身命を投げ打つ覚悟をするように。
③長州勢が京近郊に進発してきた折に勃発するであろう薩摩・会津両藩との戦闘にはそれが「洛外之事」であることを理由に傍観し「畿内中」における戦争回避のための説得に尽力せよ。
④伏見・鳥羽など長州勢が京の間近に迫り今にも入京の気配が見られたときには「勅免無之内」は入京させないよう差し押さえること。
➄京における他人との面会は「最早是迄と違、集会致にも及間敷」ため一切禁止し、在京家老以下は訓示の旨を貫徹する心得あるように。
⑥長州勢が「押て上京候得は幾重にも取り押」えて「以武威令処置、干戈(かんか)を動かし候得は、禁闕(きんけつ)を守護し奉り、王命を奉し、断然身首を抛ち(なげうち)討長致す心得勿論ニ候事」と、京に於ける内乱の回避と戦線非介入と、長州藩の粗暴の振る舞いには「武」を以て相対する準備をせよ、とを述べた。
トラブルメーカー長州藩の事をめっちゃ警戒してたのな。
それでもあの事件起きちゃったのは残念。
それにしても、慶徳公てめっちゃ博識やな。
見たことも無い読めない漢字が何個もあって、書き起こすのも大変やった。
初めて、読めない漢字を手で書いて検索する「漢字検索」を使った。
漢和辞典で引くより簡単だった。
16時から夕食作り。
17時半に子供等を駅に迎えに。
雨はほぼ止んでいるが雨の日の帰りのバスは大行列になる。
2本はやり過ごせないと乗れなかったりする。
みんな同じ時間に帰れるというのでピックアップする事に。
すると、長女の電車が急停車した、と連絡が。
逆方向の貨物列車から異音がしたので点検する、だと。
それで、30分待ちぼうけ。
ふと、駅の方を見ると長女の乗った電車の到着を待つ人々でホームに人だかりが出来ていた。

みんな、帰る時間だからね。
18時半に帰宅後、夕食の仕上げ。

大根と牛蒡と油揚げの煮物、ズッキーニとじゃが芋とチーズ焼き、塩麹ポークと味噌粕漬けチキンのグリル、ニラ奴、根菜マヨサラダ。
ウォッカ梅酒ロックと共に美味しく頂いた。
お皿は長女が洗ってくれた。
ありがたく入浴、そして、読書。
歩数計は6185。
充実した一日だった。