2024/6/4火曜日
4時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。
ベランダへ出ると鳩が暴れた跡が。



如何にも糞を落として"鳩"がやったように見せている。
が、一枚目はネットの外から穴掘りをやっている。
鳩が網を掻い潜って、しかもくちばしでこんなに土を掘り返せるのか?
しかも、ゴーヤの芽。
鳩がゴーヤの芽が大好物!とは聞いた事が無い。
他にもネギとズッキーニを掘り返している。
糞掃除をしてくれた夫も「鳩の仕業とは思えない」と言っていた。
じゃ、誰の仕業?
わいは悪魔くんだと思ってる。
「♪エロイ〜ムエッサイム、エロイ〜ムエッサイム♬ほーらバランカバランカ呪文を唱えよう♫」と悪魔くんのテーマ曲を口ずさみながら畑へ。
昨日の大雨に紛れてまーた変なもの撒かれたかもしれないので、栄養補給に木酢液を掛けた。
7時に長女を駅まで送迎。
昨日の帰宅時間に11mm/1時間を喰らったのでバスで帰宅。
自転車は駐輪場に置いたまま。
7時半に帰宅後、読書。
10時半に自転車で火曜テニスへ。
男子5名女子2名が参加。
13時まで楽しんだ。
買い物をしてから帰宅。
14時に昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら読書。
昨日に引き続き大鳥圭介本。
この方、幕府の元陸軍幹部なので旧幕府軍として北上。
新撰組副長の土方歳三の隊と二手に分かれて宇都宮城を目指した。
大鳥軍は小山で緒戦に勝利。
既に薩長軍が駐在していた壬生城からは兵糧を受け取り一路宇都宮城へ。
到着すると、既に土方隊が宇都宮城を落としたあとだった。
そこを本陣に奥羽諸藩をアシストする予定が薩長軍が兵力増強して攻めて来た。
退路を抑えられそうになったので宇都宮城を退却。
日光東照宮を目指した。
しかーし、3/27に到着すると、東照宮側から家康公を祀る大切な場所を戦火に巻き込まないで、と要請され、次は今市を目指す事に。
が、今市は交通の要衝とあって方々に街道があり守り辛い事が判明。
困っていると、会津藩主容保公より会津に入って欲しいとの書状が。
ここから山々を72km越え!!
4/1の夕方には会津の五十里(いかり)村へ向けて出発した。
しかも、人一人がやっと通れるような道ばかり。
足を引き摺りながらの山越えは困難を極めた。
更に、兵糧も尽き、空腹飢餓状態での山越えに。
ところが、五十里村手前の日向村まで来た所で会津藩家老萱野権兵衛からの書状が届き「会津入国をお断りをする」とあった。
は?
どうなっとんの?
何でも、この時期、仙台藩と米沢藩の嘆願が上手く行き始め会津藩が赦免される可能性が高まってきたのだそう。
なので、旧幕府軍の諸隊を領内に入れないよう決したそうだ。
確か、このあと、赦免を認める代わりに責任者の首を差し出せと言われ家老梶原平馬が拒否。
それで、会津藩は戦う事になったかと。
話を戻す。
4/3、大鳥圭介は会津に入国出来ないのは冗談じゃない!と五十里村まで来ていた会津藩家老の萱野権兵衛と交渉。
萱野は大鳥軍に同情。
会津領田島までの入国を許した。
そこで漸く食べ物にありつけた。
閏4/5、山王峠を下ったところで若き会津藩家老山川大蔵と合流。
2人は日光口守備隊の総督と副総督として薩長軍と激闘することになる。
この時、2人は山の中。
仙台で異変が起きつつある事を知る由もない。
4/12、奥羽25藩が会津・庄内藩の降伏を認めるよう嘆願書を九条総督へ。
4/20、仙台で「奥羽皆敵」密書発覚により世良修蔵暗殺事件が発生。
5/3、奥羽列藩同盟結成。
5/6、長岡藩など北越6藩が同盟へ加盟。
31藩による奥羽越列藩同盟へと拡大した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E5%88%97%E8%97%A9%E5%90%8C%E7%9B%9F
今日はここまで。
17時半から夕食作り。

温野菜サラダ、帆立と千切りキャベツのサラダ、蜆とカブの味噌汁。
これに玄米ご飯とウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく入浴。
そして、読書&調べ物。
歩数計は12842。
充実した一日だった。