2024/6/3月曜日
4時過ぎに起床し洗濯と朝食、昼食作り。
雨が降っていたが直に止むというので干した。
朝の家事を済ませたら夫とマンション管理組合総会の議案チェック。
第8号議案まであるのでそれに賛成か反対かを協議。
雨も上がったので10時に畑へ。
緑色の液体が撒かれた形跡は見当たらなかった。
が、葉が黄色や白に変化し枯れつつある株も幾つか見受けられたので、木酢液でアシスト。
11時に買い物へ。
12時に帰宅後、昨夜以来の食事。
納豆と玄米、味噌汁メインでお腹を満たした。
午後は読書。
昨日に引き続き「新編 物語藩史第四巻」
今日は松代藩の部分。
何といっても傑物「佐久間象山」の記述に惹かれた。
容姿もさることながら博学っぷりにも驚かされる。
大砲まで自作したのだから凄い。
幕府きっての俊英、川路聖謨が外国掛けを辞職する際、後任に誰を推すか、と訊かれ「佐久間象山」と答え周囲を驚かせたそうだ。
キャラクターも奇抜だったので。
が、結局、1864年3月末、将軍家茂に召喚され、松代藩佐久間象山は上洛。
山階宮、中川宮、将軍家茂、一橋慶喜の諮問に答え重用せらるるようになった。
象山の主張は公武合体・開国進取。
尊王攘夷派からは奸物とみなされ7/11,象山は暗殺される。
著者は同じ松代藩士長谷川昭道の関与を疑っていた。
その証拠に、7/19, 蛤御門の変の際、松代藩は長州藩と戦わなかった。
長谷川が事前に長州と戦わないと連絡していたか、と推量されている。
享年54歳。
惜しまれる死であった。
この方、緒方洪庵主宰の適塾に学び、江戸でも様々な師匠に学び、学識を深めている。
更にフランス式兵術を極めた。
幕府でも召し抱えられ陸軍奉行に。
すると、出身の尼崎藩から声が掛かった。
「尼崎に過ぎたるもの二つあり。沓脱石と大鳥圭介」
と、もてはやされたそうだ
諸藩からも声が掛かり徳島藩でも軍事指南。
その際に鳥羽・伏見の戦いが勃発。
江戸城に駆け付けた。
将軍慶喜公は恭順を表明。
が、それに納得しない幕臣も多数。
新撰組副長の土方歳三とタッグを組み、二手に別れ、宇都宮城を目指した。
今日はここまで。
17時から夕食作り。

鮭、ハムレタスマリネ、煮込みハンバーグ、焼き芋、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
読書の続きをする事に。
歩数計は7596。
充実した一日だった。