2024/6/1土曜日
4時半に起床し朝食作り。
ベランダへ出ると、まーた鳩が来て悪戯。

糞も落としていった。

雨も止んだので6時半に畑へ。
すると、ズッキーニの花が咲いていた。

そして、ゴボウの芽も発芽。

里芋の芽。

茄子の芽も。

芽が出るのを見るのは楽しい。
そして、癒やされる。
8時半まで作業した。
帰宅後、結構な汗を掻いたので総着替え。
そして、雨が小降りになったので洗濯。
みるみる晴れてきた。
9時半から読書。
読んでいる途中に判明したのだが溝口半兵衛というのは屋号みたいな物で代々の当主が名乗っていた。
で、この著書は主に溝口半兵衛家で代々伝わってきた古文書を元に書かれたものであるということも判明。
冒頭から洪水被害に奔走している場面が描かれている。
何でも、新発田藩では3年一作という言葉があるそうだ。
3年で漸く1年分の収穫が得られる、という事だ。
調べると、本当に物凄い数の洪水被害に遭っている。
天明7年の大洪水では水損3万石以上。

https://acrobat.adobe.com/id/urn:aaid:sc:AP:adcac52a-5508-4bcf-9a3a-3fbb35e19a0b
新発田藩は5万石だから実に収入の大方が被害を受けた、という事。
藩祖の兄弟の家系として溝口半兵衛家は代々要職に。
この洪水被害の際も半兵衛は陣頭指揮。
まずは被災民の為のお救い小屋を建設。
その数はどんどん増え小屋も6棟にまで増えていった。
小屋を建てるだけでなく1人あたり一日一合五勺の施粥。

更に他領から避難してきた民もすぐに追い出すではなく施粥しお腹を満たしてやってから帰らせた。
8月の洪水だったので裸同然で避難してきた民には来る冬に備え綿入れを支給。
半兵衛は役人に指示を出しながら、ふと、小屋に目を向けると赤子を背負った若い女性が松林へ向かうのが見えた。
すると、徐ろにしゃがんで松葉を食べ始めた。
それを目にした半兵衛はのちに、自分の禄を200石返上しそれを来年の種籾代に充てる事に。

半兵衛の他にも、70歳を過ぎた元藩士の御隠居が川の堀切り事業が資金不足で中断している事を憂い、自分の所持する名刀を治水担当役人に譲渡。
資金の足しにするよう告げていた。
新発田藩のめっちゃ良い話てんこ盛りだった。
12時に昨夜以来の食事。
ヤロー共にはトマトクリームパスタを調理。
自分は納豆味噌汁ご飯メインでお腹を満たした。
午後も読書。
「新編 物語藩史第四巻」を読み始めた。
冒頭の金井圓著「山村の産業構造」では農業史、特に肥料史が興味深かった。
各種肥料の中に「刈敷」というのがあった。
何だろうと思い調べると「草木の茎や葉を刈ってそのまま田畑に敷きこんで地中において腐らせることで堆肥とする方法」とあった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%88%88%E6%95%B7
わいも畑で同じ事やってたわ。
刈敷ていうのな。
17時半から夕食作り。

鮭、焼き芋、ささみと春雨と棗のサラダ、玄米ご飯ともろみスープ、残り物の肉、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
読書の続きをする事に。
歩数計は6106。
充実した一日だった。