5時に起床。
5時半に最寄り駅へ。
青森へ向かう事に。
10時過ぎに到着。
レンタカーを借り蟹田方面へ。
大平山元(おおだいやまもと)遺跡を目指す事に。
当初、電車で向かおうとした。
が、JR津軽線が昨年の豪雨災害以来未だ復旧せず。
なので、車で向かう事に。
11時過ぎに外ヶ浜ふるさと資料館に到着。

そこでは、約1万5千年前の石斧と土器片が展示されていた。


「しゃこちゃん」に似たものも多数。

他に昔の農機具等の展示もあり、実に見応えのある資料館だった。
時刻は12時。
道中は実にカラフルな景色だった。

常緑樹の緑と秋に紅葉した赤茶色の木と新緑の黄緑の中に山桜のピンクがチラホラ。
天気が曇りで上手く撮れていないけれど木々を堪能している間にあっという間に十三湖へ到着。

山頂に白い雪が残っており綺麗な眺め。
12時半にオセドウ貝塚公園へ到着。

ここでは身長2mを超す人骨が発見されている。
神武東征の際、大和でサヌ皇子(神武天皇)を迎え撃ち、神武天皇の一番上の兄、五瀬皇子に深傷を打たせた長髄彦のものでは?と推測されている。
一説では娘婿の饒速日尊により死に追いやられた、となっている。
が、飛騨の口碑によると、斬った事にして東国に逃したと語り継がれている。
この貝塚に関連した資料は市浦歴史民俗資料館に展示されている。
が、現在休館中で見学出来なかった。
引き続き、目と鼻の先の神明神社へ。

この辺一帯は東国に落ち延びアラハバキ王国を建国した長髄彦一族の本拠地だった説もある。
確かに小高い山の上にあり、14世紀の大津波の時も無事だったのでは?と思われた。
それに比べ低い場所に位置した福島城跡は兵どもが夢の跡となっていた。

ここは安東水軍を誇った安東氏の本拠地だ。
所有する船で外国と貿易をし隆盛を極めた。
奥州藤原氏が建立した中尊寺金色堂の金はこの交易がもたらした、とも言われている。
安東氏は奥州藤原氏と姻戚関係を結んでいたからね。
自分は安東氏の衰退にはDSが絡んでいる、と睨んでいる。
なにせ、元寇の際大活躍したから。
ジパングを手に入れる為に邪魔だったんだよね。
時刻は13時半。
次は高山稲荷を目指す事に。
その前に中里駅近くのケーキ屋さんを訪問。人気のシュークリームやパンをゲット。
昨夜以来の腹ごしらえ。
シュークリームの皮はカリッカリで、カスタードクリームは甘さ控えめで絶妙な組み合わせだった。
14時に高山稲荷へ到着。

本殿への階段を登り切るとご褒美の日本海が木々の間から垣間見えた。

本州最北の地ではまだ桜が咲いていた。

神社の裏手の砂利道をてくてく歩き海岸へ。
誰も居ないので七里長浜へ向かって鰺ヶ沢甚句を歌った。
14時半に高山稲荷をあとに。
帰り道桜の名所に遭遇。

思わず立ち寄り。
すると桜並木の向こうには岩木山も見えた。
反対方向を見ると、そこには桜とつつじがコラボしていた。

桜と菜の花はよく見かけるが桜とツツジの組み合わせは珍しい。
なんて素敵なお花見スポット!
この道は今は亡き父が中里町(現中泊町)の実家へ向かう際にいつも利用した道路。
この年になって初めてこの公園に立ち寄った。
16時に実家へ到着。
6年ぶりに母に会った。
元気そうで何より。
一緒に夕食の用意をし18時半から宴会スタート。
自分で買ってきた梅酒とウォッカでいつも通りのウォッカ梅酒ロックを作成。
フキや細竹等の山菜や野菜をメインにモリモリ食べた。
そして、埼玉ではなかなか食べられないヒラメの刺し身も堪能。
幸せな一時を過ごした。
22時半から最新情報をチェック中に寝落ち。
3時半に覚醒。
ブログの編集が終わったら最新情報をチェックする事に。
歩数計は10563。
史跡巡りが最高に楽しかった一日だった。